真我

自転しながら公転する

ダイヤモンドの輝き!!


「自転しながら公転する」という言葉を知った時

その意味とか概念を知らずに感じたこと・・・なんですが

神へと還って行く過程で

自らが神へと戻ろとするエネルギーの回転と

大きなエネルギーの回転がある

これは事実だと思います


ここで

ここでです

自らというところに個人的な私というのがあると

回転が非常に小さくなるのだと思います

自らが「私は誰でもない」という自らである場合

回転はその都度自由であり軽やかであり

それはあるがまま・・・ではないでしょうか

すると大きな回転が大きく一回転するとき

その揺さぶりにもあるがままに任せることができるのです


わかりますか?

私、という個人的感覚がそれにコントロールを加えてしまう

前へと回転したいのに、後ろへと回転させる力が加わる

という感じ

ぎゅーッと固まる感じ

余計な力が加わって大きな回転の邪魔をする感じ

もちろん、大きな回転からすると、邪魔なんてされません

大きいので、力強いので、それはありません

しかし自転(自ら)からすると

それはブレブレになる、どうしたらいいのかわからなくなる

同じところを行ったり来たりすることになる

ということですね

大きな回転には気づけない

なのに小さな反回転には気づいてしまう

小さな反回転はとてもリアルに感じてしまうから


でも、でもでも待って!

それは違うの

それは夢の中での話し


自転しながら公転する

公転するから自転は

その大きな回転から外れることは決してない


緩む必要がある

私は誰でもないというのは

私は初めから“これ”であるということです

この軸、この根っこ

“これ”があることでブレても戻るということが自然と起こってきます


何が言いたいのかと言いますと


在るを知るということです

在るを知ったなら、在るにしがみつく

在るにただ居る

そうしてやっと在るに融けていくのです


つまり、これは

自分自身を知るということなのですよ

自分自身を知ったなら、そこに居ればいいのです

そうしているうちにいつの間にかそれそのものなのです


しかし、これは真我を実現したことではありません

実際、それそのものになると(元々それなんですけどね)

自分がなんなのかわからなくなります

「自分は誰でもない」のです

ここから、ゆっくりと熟成していくんですね



今日の画像

ダイヤモンド

そして、ダイヤモンドの輝き・・・

ダイヤモンドが真我

ダイヤモンドの輝きは私たち

ダイヤモンドもダイヤモンドの輝きも真我です

在る

です・・・


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さとちゃん


誰でもない ソミソララです♪



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