真我

在るを知る、在るに浸るって凄いことなんだからねって話し

シマエナガ15



“雪の妖精シマエナガ”

こんな可愛いお名前だったのね~

シマエナガちゃんに夢中です♡


シマエナガ1


この状態って、どう思う?

この子は羽を広げる前から自分が飛べることを知っている

だから余裕で宙に浮いている

自分が飛べるとか飛べないとかも知らずに宙に浮いているし 飛べる





“在る”という状態

自分が在るであると知っていても

だからと言って在るであることが何なのかを知らない

だから自分が何なのかを知らなくてもいいということ

知ることなどできないのだということ


ただ自分は身体ではない

在るであると知っているだけで

知っているだけでと言っても

“ それ”に気づいていないといけないけれど

そうすると

表面的なことに影響を受けていないことに即座に気づく


ソミソララの場合だと

まんま実践を続けて来ていまだに身体に反応は起きている

これは浄化の過程と言って良いと思う

起こる反応は人それぞれ違うけれど何かしら反応は現れると思う

浄化ってなに?って思うかもしれないけれど

それをソミソララの表現で言うなら

神から離れてしまったという勘違いから解けていくまでの浄化かな

つまり不安とか恐怖とかだね

これを終わらせてくれるのは神だと思う

或いはエゴがゆるんでいくまでの過程で起こる反応など


でもね、もう一切そういうのに影響を受けないんだよ

表面的な自分(心)は気にしている

なのに、あら不思議

全然気にしていないという圧倒的な在るという状態

表面的に何が起こっても一切影響を受けていない状態が

ばっちり目覚めているという表現をしたくなるのだけれど

その表現は違うんだね

だって初めからそれは自分自身なんだから

それを知らずに、ただ在るを無視していただけ

在る 在る 在る 在る

この実感がどんどん大きくなる

それは安心という実感が大きくなることと似ている

それに対して

心  心  肉体精神機構の反応がどんどん小さくなる

小さくなるとは気にならなくなるということ

意識がどこに向いているのかで全然違うということ


それでも表面的なことはもちろん起こり続けて行くよ

でも色々な事に対してこだわりがなくなって

言葉にも意味を持たせなくなってきて

悟りとか目覚めとかそんなのどうでもよくなってきて

たとえば好きというものに対して

好き

だけになる(意味を持たせません)

たとえば嫌いというものに対しても

嫌い

だけになる

好きとか嫌いとかの意味を忘れていく


すべては起きては消えてゆく


私は神が創造したままの私である

私の心の奥深くで

内なる神聖なキリストが私自身として認められるのを待っている

真我が認められず知られないままでいるうちは

私は道に迷ったままであり

自分自身を知らない



在る、キリスト、真我 同じだよ


在るを知らないまま 

自分自身を知らないまま今世を終えるつもりですか?

いまのソミソララからしたら

そんなの信じられない・・・

勿体ない






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