真我

ラマナ・マハルシを読破する時期が来たようです♡の続き

読書の秋1


ラマナちゃんの「あるがままに」を読み終えていました

しかも、こんなに付箋が・・・ (*_*;

ラマナちゃん



そして所々にアンダーラインやコメントが書かれています

真剣に学んでいたということですね

あるがままにラマナマハルシの教えを読んだのは2年くらい前だったと思います

昨日書いたブログのように、初めてラマナちゃんの本を読んだとき

学びではあっても、レッスンとは成りえなかったということですね

学びは忘れても

レッスンは忘れるようなものではない

真理とは学ぶものではないですから

頭を使うのではなくて

ハートをひらく、感じることで沁みていくと思います


パラパラっと本を開いて、いまブログに載せたいと感じるのは


347ページ 第19章 “神の本質”より引用


一見すると、シュリー・ラマナの神についての発言は矛盾をともない謎めいて見える。

あるときは、神はけっして何もしないと言い、別のときには、神の意志なくしては何も起こらないと言う。

ときには、神は心のなかの単なる概念にすぎないと言い、他のときには、神だけが唯一存在する真理だと言う。

これらの矛盾する発言も、たいていの場合、彼が遭遇する質問者の理解のレベルの違いが反映されていると言えよう。

個々の神々を崇拝してきた人びとには、しばしば神が人の姿をしている視点からの説明が与えられた。

神が世界を創造し、維持し、聖なる力で世界のなかのすべての生きものの面倒を見ている。

そして、神の意志に反しては何事も起こらないのだと。


その反対に、そのような理論に惹きつけられない人びとに対しては、神についてそのような概念や神の意志とは心の産物にすぎず、

誰のなかにも本来備わっている真の神の体験を隠してしまうだけだと彼は説いた。


最高位の教えにおいては、「神」と「真我」はどちらも内在する真理を現わした同義語である。

それゆえ、真我の実現とは神の実現のことであって、神の体験ではない。

むしろ、それは自分が神であるという理解である。

最終的な段階から見れば、シュリー・ラマナの神についての発言は以下のように要約することができる。


1 神は内在し、無形である。神は純粋な存在、純粋意識である。

2 世界という現れは、神の力によって、神の中に現れる。しかし、神は世界の創造者ではない。神には意志も欲望もない。

3 個我とは私たちが神と同一ではないという幻想である。その幻想が拭い去られたとき、あとに残るのは神だけである。




まさに、神だけが唯一存在する真理である。。。ですね

これは自分のことを「身体」だと思っていたり「心」だと思っている人にとっては信じられないことであると思います

ですが、いま、その思い込みを破壊して

本当の自分、真実、真理を受け入れていく時が来ています

そもそも、このようなブログを最後まで読めること自体、不思議ではありませんか?


。。。。。ですよね












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