急に思い出しました
一年前だったか、半年前だったか忘れましたけど
こんなブログを書きました
街を歩いていたら神さまを見つけた
「あっ!神さまだ」・・・
遠くから神のお姿を見つめながら
ひと言
ラッキーと囁く♡
すると
私が神に気づいて見つめていることに
神は気づきます
そして、有ろうことか
神が私の元にやってきて
神と私のコミュニケーションが始まります
神と私がエネルギー的に共鳴し
あ~、神さまってこんな感じ♡♡♡
神、一なる絶対意識とは
を、知る
神のお姿
それは全体
神のからだ
神と私とのコミュニケーションでわかった
一なる絶対意識とは。。。
これが神を知るということ
神を知るには
神とのコミュニケーション(共鳴)が起き
人から聞いた神でない
知識としての神でない
“この個性”だけがエネルギー的に感じ取ることができる神
これこそ
身体(五感)あっての歓びですよね
だって神を知ったと知覚するでしょう
神のことを口を使って言葉を愉しむことができるでしょう
全身で神を知った歓びに浸ることができるでしょう
これこそ身体あっての醍醐味であると思います
だって、身体が終わってしまったら
全体そのものなんですから
五感がわからなくなります
私たちは皆、神のからだ そのものですからね
最近また、車の運転中に
胸がキュンっとして♡涙がでる
左手で涙を抑えながら運転することがあります
“自分が何なのかを知らなくてもいい”
自分が何なのかを知らないというのに
これは○○だというラベル分けが要る?
要らないの
全体なの
みんなひとつのエネルギーなんだよ
そして
いまここ
いま目の前にあるこれだけが事実
リアルであり
それ以外は存在していないということ
自分は全体であり、何なのかを知らないのであれば
すべてが、そう
全体
ひとつ
私たちは概念や言葉を使うことで
すべてを決めつけてしまいます
でも、それでは神とのコミュニケーションも
全体というものも理解し難いと思います
全部ぜんぶ棄て去って
そしてゆるんで
意味を付けない
ラベル分けしない
ただ、そうである
で、良いと思うんですね
これまで全部
何から何までラベル分けしてきたものの
ラベルが剥がされていくたびに
ゆるんで、ゆるんだ分、気づきが増えて
全体からのメッセージにも触れるようになるのではないかと思います
意味を付けない
意味を付けないから気にならない
コロナ
意味を付けない
意味を付けなかったから気にならなかった
自然とコロナ騒動は過ぎ去って行った
戦争や争いが嫌いなら
どうしてその情報に意識を向ける必要がある?
どうして気にする必要がある?
意味を付けて気にすることは
そこにエネルギーを与えることになる
これは日々の身の回りで起きることすべてに言えること
嫌なことに周波数を合わせないこと
つまり意味を付けて(ラベルを張って)意識を向けないこと
出来事は過ぎ去っていくもの
過ぎ去ったものは過ぎ去ったもの
無いもの
このブログは
こうして書く事で
自分が自分に教えている
という事が
よく起きています
ラベル分けについては
先程車の運転中に
胸がキュンとして
涙がでてきて
左手で涙を拭いながら起きたのです
それは概念で言えばチャネリングとなるのでしょうけど
全体のところでは、そうではありません
全部、全体から湧いて来ます
それも含めて
エネルギー的に
教えてもらいました
自分自身が自らでラベル分けに違和感を覚えたことで
あー、ラベル分けはおかしい事だと
この“違和感”が教えてくれたのです
頭での理解ではない
実際に実感して腑に落とされるとは
こういう事です
最近よく
このような事が起こっています
自分自身「在る」に気づいたなら
在るをゆっくり信頼していく
そして愛していく
それは
いま、目の前にある
“いまここ”を信頼し愛することと
まったく同じ事です
違和感については
今度また
ゆっくり書いてみますね
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