
今日はなぜか
一年以上も前に読み終えている本が
本と言うよりも、本の内容が思い出され
気になって気になって仕方がなく
思い当たる本を3冊出して来て書いてあるところを捜しました
あ・・・ジーンと来る
ラメッシ・バルセカール 著
ニサルガダッタ・マハラジが指示したもの
この本はニサルガダッタ・マハラジの弟子であった
ラメッシ・バルセカールが書いてくれた貴重な本です
308ページ後半から
1981年7月16日火曜日
数人の定期訪問者がいただけでした。
マハラジは目に見えて疲れ、消耗していましたが
それでも誰かが質問するか、話をするように(!)要求しました。
それで誰かがこの言葉から始めました_______
「私がもっている意識は・・・」
それを言った人が、もし時々来る訪問者の一人だったなら
マハラジは言われたことの言外の意味をおそらく無視したことでしょう。
しかしこれを言ったのは、もっと賢明であるべきだった定期的訪問者だったのです。
マハラジは突然、「そこでやめろ!」と叫びました。
衰弱した体の状態にも関わらず、マハラジの言葉は銃声のようでした。
彼は話した人をにらみつけ、言いました_____
「私がもっている意識」ということで、あなたは何を意味しているのか?
あなたは自分でどれほどのナンセンスを話したかに気がつかないのか?
どうして「あなた」や他のどんな人も意識をもつことができるだろうか?
あなたがそんなにも軽々しく「意識」と呼んでいるものの
想像できないほどの偉大さ、神聖さがわからないのか?
それにあなたが好きな名前を何でもつけるがいい。
しかし、その言葉はあなたが意味しているものではない。
意識は私たちの本質のまさに表現である
という根本的真理をどうしてあなたは忘れることができるのか?
非現象の絶対が現象化を通じてその気づきに気づき、
全宇宙が実存するようになるのは、意識の活動を通じてである。
あなたがこれらの言葉を使ったのは不注意によるものかもしれないし
それは私にはわからない。しかし、まさにこういった不注意は
あなたに自分自身を肉体と一体化させてしまう条件付けの強力さを示している。
あなたは自分がその肉体であり、その肉体が意識をもっていると思っている。
もしあなたがこの問題を、片方がもう片方を所有しているという観点で
考えなければならないのなら、あなたが自分自身だと思っている肉体だけではなく
無数のその他の肉体も所有しているのは明らかに意識のほうであり
意識はそれらの肉体を通じてプラジニャー(非自己的意識)として機能するのだ。
本当は違う部分を書きたかったのです
ですが、やはり読み終えて一年以上経っていますので
いま、この部分をブログに書きたくなりました
ここを読んで、じ~~~んと来てしまいました
マハラジ、大好き
カッコいい、情熱的なグル
お会いしてみたかったです・・・
意識とは神のこと
自分が意識をもつという言葉はマハラジを怒らせてしまったのですね
でもこれはマハラジの、定期的訪問者への愛です
間違いなく愛なのです
この本はマハラジの弟子であったラメッシバルセカールが残してくれました
感謝感謝です
大好きなマハラジの教えの核心やお人柄が伝わる素晴らしい本だと思います
肉体は私ではない
これはソミソ・ララも絶対に見出したいことのひとつであり
マハラジは自らの体の状態を訪問者に見せながら
肉体は自分ではないということを最後まで伝えてくれました
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