神さま

意識の転換スイッチを押すのは誰?

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無意識に、意識の転換スイッチは押されている

バンっ!! これが意識の転換スイッチが押された聖なる音

これはほとんど聞くことは無い

しかし、確かに意識の転換スイッチは押されている


最初のバンっ!は気づき(真我、一なる絶対意識)

ただ“それ”


2回目のバンっ!は気づきに気づく(真我の先っぽ意識)

ただそれを、あるがままにみている


3回目のバンっ!心の投影の世界(自我の世界)

イメージ、イマジネーション「私」の世界


私たちは意識である

2回目のバンっ!ここに留まる

そしてベクトルは3回目のバンっ!心の世界ではなく

1回目のバンっ!である気づきにちゃんと気づいていること

私たち真我の先っぽ意識のベクトルは

いつも気づきに向いているということ


そうすると時々

気づきそのものになっていることにも気づいている

なぜなら本当の私たちは“それ”であるから

気づきそのもの、真我であるから

真我と真我の先っぽは同一

神、真我、真我の先っぽは同一であるということ

神、真我は実在

実在にしか実在を生み出すことはできない

神が生み出すものを、生むとか創造するという言葉は使われない

なぜなら神が生み出すものは神そのものであるから

だから、延長とか、拡張という言葉は使われるそうです


ソミソ・ララはまだそんなに深く真理を理解していない時

私たちは神の中身であり

神さまのほんのちょっと意識です♡と表現したり

大好きなコーヒーを比喩に使って熟成していく過程を

このブログで表現していました

カフェラテからカプチーノへ

カプチーノからカフェオレへ

カフェオレからミルクが抜けてブラックコーヒーへ

コーヒーから珈琲が抜けて無色透明な水へ

このように♡



今思えばそれは神の延長である

私たちは神の延長である・・・“とも”言えますね♡

意識の転換スイッチを押すのは誰?

誰だと思う?



ところで、以前ヘルメスさんの個人セッションを受けた時に

ヘルメスさんが面白いことを仰っていたことを

いま、ふと思い出したので書いてみますね♡

ソミソ・ララは今さっきやったことや、思考やマインドの中身が消えてしまいます

例えば一番分かり易いのは

電車やバスなどを乗り換えてどこかへ行くとして

前に乗っていた乗り物の感覚が消えてしまうんですね

だから乗り換えるたびに新鮮なわけです

疲れない、ストレスがない、ということになっています

日常でもそうです

もう、それは当たり前になっています

記憶はされている、らしい 笑

だって、あれ?って

さっき電車に乗っていた感覚が消えていると

気づいているわけですからね

気づいているんだけれど

身体の感覚、

身体がそれをやったという感覚そのものが消えてしまうということです

思考もマインドも同じくです

消えてしまいます、思い出せません




これまでにもブログに忘れる、消えることを何度も書いてきていますが

そのことをヘルメスさんに話して「大丈夫なんですかね?」って話したんです

そしたらヘルメスさんは

「何も気にすることはない」このように仰いましたよ♪

それは

私、変わらない

私は変化しない


という意識になってくるからなんだそうです

つまりそれは真我の気づきのことですね

本当の私は身体に何が起きても影響を受けない

変わらないのだ。。。とわかっている意識です


ソミソ・ララはそんなこと思ってもいないことでした

そういうものなんですか~~~ってなりました(*^。^*) 笑


逆にそれを気にして身体の事、個人の事だと気にすると

認知症だとか、何だとかになる


ソミソ・ララの「忘れる」というのはそうではなくて

ヘルメスさん曰く

不幸が無いわけ♪

変なことを言っていても、自分は幸せなわけ♪笑


ソミソ・ララにとって、忘れること、消えることは重要ではない

逆に、幸せなわけです 笑 


それを言われて、 本当にそうだなって思いました








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