
早朝の4時、いえ、4時少し前だったかもしれません
急に身体の一部に少し強めの痒みがあらわれたんです
それと同時にそこに空がありました
あれは、なんとも不思議な感覚で
その空(くう)はソミソ・ララでした
それは1秒か2秒か3秒か
からだの感覚と同時に
確かにあったんです
痒みと空が同時にありました
痒い
と
ソミソ・ララは別々だったんです
ソミソ・ララは身体から離れていたんです
ヘルメスさんの瞑想会では8月「身体は私ではない」というテーマで実践と理解を深めていますが
その前に7月の1か月間、ソミソ・ララは「身体は私ではない」を
勝手に始めたワークによって観察と認識とを深めたり
日常や瞑想(実践)の時にあらわれる身体の反応に意識を向けて
とにかく観察と認識を深めていました
この感覚は私に起きているのか?
私に何か影響はあるのか?
その時、「私」という個人はそこに存在しているのか?
などなど
今朝確かに捉えた空という感覚
まだ3時間も経っていませんが
あの感覚は薄れてきていて時期に消えてしまうでしょう
実相、全体
ここに命がある
命に身体が存在しており
生きているのは身体ではなく命です
その命が実相です、在るです
その在るは身体のハートの奥で強く感じる事ができます
それが本当の私というものです
私たちは身体ではありませんから
身体は無いとして見た時には
胸もありません
ですから胸に限定する必要もないとも言えます
でもハートは感じるセンサーですからね
愛を感じる場所ですもんね
ここは(ハートの奥は)
時々熱い熱を帯びているようにも感じられ
じ~んと
何とも言えない存在感があり
それをうまく表現する言葉が見つかりません
このハートの奥と実相は同じものではないけれどひとつです
これをソミソ・ララの表現で表すと
実相、全体は神のからだ
となります
ラマナマハルシは真我は胸の右側に在ると表現してくれました
ソミソ・ララはハートの奥に
海の底のような静けさと同時に、言葉にするなら
微細なエネルギーの時もあれば深いエネルギーの時もあるように感じています
胸の表面に蓋のようなものを感じる事があり
じんじんする感覚が現れる事もあります
その時は身体の反応は自分ではないという認識があるので、構わず深く感じていきます
ハートの奥で捉えるものは
身体ではないとわかっているからです
真我は絶対にハートで感じるものだ!
とは言えないのかもしれません(わかりません)
どちらにしても
ゆくゆくは、この感覚を対象として捉える事なく
それそのものに
ですね
身体は私ではありません
私たちは在る
在るです
それにしても
空の感じ
初めての感覚でした
痒み(気づきそのもの)
痒みが現れた(気づきに気づいた)
空
あの時ソミソ・ララは気づきそのものだった…
私は在るである
痒みはソミソ・ララに起きているものではありませんでした
こういう一瞬の一瞥のようなものは
日常の中でもよく起こるものですが
いつも書いているように
初めのバンッ!これが気づきです
初めのバンッ!は気づきそのものです
2回目のバンッ!で意味づけをしないでただありのままにしておくこと
3回目のバンッ!では次々とイメージが加わってしまい
それはただの思い込み、ただのイメージになってしまいます
バン!というのは
意識に起こる転換スイッチのようなもので
去年の大晦日でしたか
やはり早朝に体験があったんですね
それは
バンっ!バンっ!バンっ!と
意識に転換が起こり
気づきと
気づきに気づくと
イメージの3段階になっていました
とにかく
気づきそのもの
これが真我です
気づきに気づくことができるのはあなたです
気づきそのものもあなたです
真我を求めているあなたは
真我の先っぽであり
つまりあなたは真我です
norikoさんの動画で真我の先っぽを見つけました♡
I AM THAT 見る者が真我の先っぽだよ
凄く面白いですし、素晴らしいです
あー、ソミソ・ララもあなたも(真我の先っぽ)はこんな風
真我とは個別に存在しているのではありません
ひとつです
ソミソ・ララの真我とあなたの真我は同じです
本当のあなたとは真我のことです
神、真我は同一です
一なる絶対意識
神、真我だけが実在です
- 関連記事
-
-
情熱的なグル ニサルガダッタ・マハラジ 2023/09/14
-
はじめてのリトリート参加 2023/09/13
-
自分自身を見失わせるトラップ 2023/09/08
-
身体は私ではないという実感 2023/08/29
-
いま、苦しいという人へ 2023/08/26
-
ただ湧いてきた独り言。。。 2023/08/04
-
なぜ真理を求める? 2023/06/22
-