神さま

奇跡のコースに気づかせてもらったこと

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今日、急に思い立って

「真我の先っぽ」というカテゴリを作りました

暫しこの言葉はブログがら消えていましたが

改めて読んでみるとなかなか面白いし

ヘルメスさんが瞑想会でよく仰っている
 
“気づきに気づいていなさい”という言葉を思い出すと

気づきに気づくのは

やはり真我の先っぽだよなーって思うのです

真我の先っぽは、やはり真我ですからね♡



ソミソ・ララは(あなたは)いつも

神に還りたい

神へと融け去りたい

神とひとつになりたい、戻りたいと思っているんですよね

還りたい、融け去りたい、ひとつになりたい、戻りたい


奇跡のコースでは

神から離れていく分離を

第1分裂から第4分裂までのプロセスで教えてくれていて

そのはじめが、神とひとつでありながら

「神と離れたらどうなるかな」

神からこんな意識が発生したわけです


これこそソミソ・ララがこのブログで書いてきた

真我の先っぽのことなんですね




真我の先っぽ



奇跡講座の本を購入して読んでいくうちに

もっと知りたくなりまして

8月9日だったかな

奇跡のコース、奇跡講座の教師であるnorikoさんの個人セッションを受けました

その前に彼女の動画を幾つか視聴していて

素晴らしいなと思っていて

ソミソ・ララのスピリチュアルな体験も含め色々な話をしました

奇跡のコースは宗教ではありませんし

教師に教えてもらわなければならないわけでもありません

本を購入して自分で実践しながら学んでいくという方のほうが多いのではないかと思います

教師に学ぶメリットというのは

兄弟という方々と出逢い、共に学び、共に心が変容していくことが促されていくようです

兄弟とは共に奇跡講座を学ぶものであり、共に活動するものであるようです

そして兄弟とは家族であったり、友人であったり、ご近所さんであったり、職場の同僚であったり

つまり深く関わっている人たち全員が兄弟であるようです

彼ら彼女らの真の彼、真の彼女

聖霊と一つである彼、彼女

神と一つである彼、彼女

キリストである彼、彼女

真の自己としてのわたしと完全に一つである彼、彼女を

受け入れるという事のようです



本当の意味で解脱するというのは想像を絶するほど大変なことなのだと教えてくれました


奇跡講座の本を読んだり動画を視聴しながら

初めのうちは

神から離れたら、とか

神を怒らせてしまった、どうしよう、とか

神を裏切るような行為をしてしまった私には罪がある、とか

このような文面に、まさかー!そんなこと思わないってば!!なんて

動画を視聴しながら叫んでいたんです

昨日までは、、、、

でも、どういうわけか

今朝になって気づいてしまったのです


神に還りたい、神に融け去りたい、神とひとつになりたい、戻りたい

いつもこんなことを想っているソミソ・ララ

これって、言ってるじゃない

還りたいということは、元々神の中に居たということ

融け去りたいということは、元々一つだった

戻りたいということは、自らが神から離れたということ


だからいつも想っているし願っている

神に還りたいと・・・

これは皆さんも同じですよ!

“ひとつ”なんですから


そうか、ソミソ・ララは自分で神から離れたんだって気づいたのです

(真我の先っぽは)


この先の答えは明かされています

初めから神と分離などしていないし絶対に分離などできないのだということ

それは夢なのだ!ということ

真我の先っぽから発生した心(想念)が作り出した夢なのだと


答えは解っている

でもそれそのものになってはいないのです

だから神と分離などしていないと解っていても望むのです、願うのですね


奇跡のコースはイエスがヘレンさんという女性にチャネリングをして

7年の歳月をかけて出来上がった神へと還るまでのコースであるようです

多くの人は心の深いところで分離感や不足感や孤独やどこか悶々とした部分を抱えており

この世界では完全に平安を得ることは無いとされています

ですが今の時代

昔の人たちが10年も20年もかかっていた意識の変容が

あらゆる手段を使って情報を得て学び気づき意識が変容していくプロセスを

短縮させることが可能である時代であります

インドの覚者や聖者たちの教えや

奇跡講座、奇跡のコースや

ノンデュアリティや

今世で覚醒し解脱した覚者と出会い

そのエネルギーに触れながら学ぶことや

きっと他にもあるんでしょうね

どちらにしても、心自体が夢なのだと気づくことが容易になっている今

目を覚ましていくことを選ばなければ勿体ないように思います


だって、信じているこの世界は夢なんですから

実相はそれではないのですから

心はひとつしかない

大きな心をみんなで共有している

私たちは分離していない

私たちはひとつ

幻である心でさえもひとつ

私が癒されるではなくて

私が癒されるということは大きな心が癒されるということ

“私だけが”癒されることはない

そんな個人的な私などいない・・・


心は見つめると消えてしまいます

真理とはどの教えも同じです

究極のところから話しているのか

心から順番に教えているのかの違いがあるだけで

本当はどの教えも同じです

答えは神と分離などしていない

私たちは元々神、真我であるということ















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