神さま

ヨーガ・ヴァーシシュタから

海のリアル



最近は本を読めなくなっていて、まだ開いてもない本が何冊かあるのです

だんだんと言葉とか概念とかが要らないような気がしていて

でも今日は、この素晴らしい本から引用して書かせて頂きます 308ページ上段



シヴァ神は語り続けた

その普遍の神を礼拝することこそ真の礼拝だ。

その礼拝をすれば、すべてを得ることができる。

神は分割不可能で、非二元的で、活動によって創造されるものではない。

外的な努力で彼に達することはできない。

彼を崇拝することは歓喜の源泉だ。


外的な姿かたちを礼拝することは、知性がまだ目覚めていない未熟な者のためにある。

自己制御のできない者にとっては、神像に花を供えるような礼拝がふさわしい。

たとえ外的な形の中に宿る真我を讃えても功徳はないように

そのような礼拝に効果はない。

それでも、未熟な帰依者は、彼ら自身が創り出した対象を礼拝することで満足するものだ。

そして、そのような礼拝をすることで、価値もない報いを得さえするのだ。

今から、あなたのような光明を得た人にふさわしい礼拝の様式を説明しよう。

礼拝にふさわしい神は、全創造を維持し、想念や描写、「すべて」や「集合的全体性」という

概念をも超越した存在だ。時間と空間に分割されず、すべての事象を輝かす光である

純粋かつ絶対なる意識、ただ彼だけが神と呼ばれるのだ。

彼はすべての部分を超越した知性であり、すべての中に秘められ

存在するすべての中に存在し、それらすべてから真理を覆い隠してしまう存在だ。

このブラフマンは存在と非存在の中間にある。それが神であり、「オーム」(聖音)として

描写された真理なのだ。それは植物の中の「精」(エッセンス)のように

すべての中に存在している。あなた、私、そしてすべての神々の中に存在する

純粋意識、ただそれだけが神なのだ。姿かたちを持つ聖者や神々でさえ

その純粋意識に他ならない。宇宙全体が純粋意識なのだ。

それが神であり、その「すべて」が私だ。すべては彼を通して、彼の中で成就されるのだ。

その神は誰からも分離していない。彼に達するのは困難なことではない。

彼は常に身体の中に宿り、しかも空間のようにいたる所に存在している。

彼はすべてを為す。彼は食べ、すべてを一つに統合させ、歩き、呼吸し、

身体の隅々まで知り尽くしている。彼は身体の機能を可能にする光であり、彼から様々な活動が起こる。

彼は命あるもののハートの洞窟に宿っている。彼は心や五感の認識を超越している。

だからこそ、感覚では想い描くことも描写することもできないのだ。

それでも、このように教えとして説くという目的のために、

彼は「意識」という呼び名で示されている。

それゆえ、すべてを為すように見えながら、彼は何もしない。

だが、その意識は純粋なため、あたかも春の訪れが木に花を咲かせるように、

世俗の活動に従事するかのように見えるのだ。




ヨーガ・ヴァーシシュタ 至高の真我より


私は神さまが大好きで

だから、こういった本を読むことは、この本のエネルギーと融け合いひとつになって

最高の歓びを得ます・・・

今日頑張ってブログに書いたこの部分だけで

神とは・・・一なる絶対意識とは・・・本当の私とは、が

はっきりと示されているのではないでしょうか


神、真我は全体なのです

ひとつなのです

純粋意識なのです

気づきなのです

LIFEなのです


真我はすべての全てに満ち満ちています

あなたが、それ、なのです

私たちは「個人的」ではないのです

私たちは身体ではないのです

意識です!エネルギーです!

全体です!


真我を見つめる流れの中で分離は終わりです


ヨーガ・ヴァーシシュタ 至高の真我

本当に素晴らしい♡♡♡










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