本当の自分

何かのタイミングで何度も湧いてくる言葉がある

ガーリー11




Osho

ただ体験のみが

その住み家に静かに坐す



この言葉

何度このブログに登場したことでしょう。。。


どういうわけか

Oshoの著書(確か、存在の詩)に書かれている

この言葉だけは

何度も何度も湧いてくるんですよ


これは、もう神さまからのメッセージであるとしか思えませんね

この言葉を正しく理解し、認識していなさい!!

という事なのではないかと思います


実際ね

思考したことはすぐに消えていくんですよ

1分前に思考したことでさえ思い出せないというのに

こうして、何度も湧いてくるこの言葉

他にもあります

スピリチュアルで霊性を学んでいた時に起きた神秘体験

その神秘体験が重要なのではなくて

神秘体験によって気づいたそのこと

これがちゃんと残っています

それは知識と体験が合致したものだったりします

やはりいま思い出しなさい!というようにして

絶好のタイミングで湧いてくるわけです


思考は消えていく

自分の内側から湧いてくるものは湧いてくる


さて、

一番近い過去にこのブログで書いた

~ただ体験のみが

その住み家に静かに坐す~

(住処、ではなく、本には「住み家」と書かれていたと思います)

その時はこのように書いていたようです(人ごと)笑


“私たちが体験そのものになる”


でも、また理解が変わっています


関連記事 多くを語ってくれるOsho


いまの私は

その住み家というのは

命の中、全体の中、神の中であるということ

体験をする誰かはいない

体験だけが神の中に静かに坐しているということ


何度も何度もタイミングを見て湧いてくるこの言葉


そうまでしても

いつもしっかり認識していなさい!確認しなさい!

ただ体験のみが神の中に静かに坐しているだけである

ということを。。。




神さまは姿かたちなきもの

これを言葉にするのなら 神はエネルギー

神がこの宇宙を創造したとき

それは、一度だけだった

最初のバンっ!! それだけだった


バンっ!! 現れたこの宇宙は

光の粒子として現れ、それは命である

光の粒子は森羅万象を形作った


神が創造したのはこれだけ


なのに、この宇宙はある意味

神とは関係なく

変化変容を繰り返していく

それは創造と破壊である

イマジネーションと消滅の繰り返しである

神の眼には

イマジネーションは映らない

神の眼には初めに形作られた静かなる森羅万象のみが映っている


私たちも姿かたちは無く

エネルギーであり

エネルギーであるということは

この上なく自由であるということ

意識は行きたいところへと一瞬で行き

イマジネーションはすぐさま形作られるということ

しかし、覚えておきなさい

それらすべてはイマジネーションであり

それを非実在という


あなたはそれではない


悟り、目覚め、真我実現、覚醒

それらはすべて同じこと

実在とは一なる絶対意識、神だけが実在である

真我のみが実在である

本当の私たちは真我であり

真我に分離は無く

すべての真我で神である

私たちは初めからひとつであーる












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