真我

ただ 今を愛している・・・

ふるさと



神さまには

個を生み出す源があり

個という意識からするとそれは真実の我「真我」である

ゆくゆく意識は真我を求めてを探求する


個が個を体験する場である「宇宙」が創造されたが

本当のところでは宇宙は聖なる愛であり、いつも毎瞬ゼロである

紀元前何年に創造され、こんなことがあって、あんなこともあって

などというものは一切無い

ただピュアだけが在る


だから真我は宇宙に満ち満ちていても何ものにも関わらず影響を与えず

それそのもので在り続ける


しかし真我から現れた意識は個という肉体で「私とはこれ」を体験して

やはりゆくゆくは真我へと、唯一の神さま大いなる神へと還ってゆく



いま目の前に在る“これ”を

ただ愛している

すべての物語り、ストーリーを省いて

ただ愛する、ただ愛している

親子だから愛しているではなくて、愛している

目の前の景色を、ただ愛している

記憶の中から浮かび上がる様々な過去も「いま、頭の中に浮かんでいる」それでしなかい

それが浮かんできたのなら物語でない「ひとつの絵として」“いま”純粋に“それ”を愛している

物語の部分でない ただこれを、目の前のこれを愛している

目の前に在る“これ”を毎瞬毎瞬・・・

懐かしい思い出、ふるさと

“いまここで”物語のないピュアな意識で愛している


私は在るという言葉

この意識、在るに気づいているこの意識が在るに融けていく

この意識が消える

残ったもの、それが在る

これだけ

ピュアなこれだけ

私は在る

在るとは個人的とか全体性とかの概念のない

“いまここ”を愛している、このエネルギーである

それが本当の私というもの









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