真我

私はダイヤモンドの輝き

チューリップ2


自力整体の創始者である矢上裕先生が

娘さんが発信しているInstagramで対談をして

ヨガ時代に幽体離脱をした時の話をしていると聞いて

視聴してみました♪

こんな感じです♡


森の中に入って木の下で瞑想をしていた時に

夢うつつの状態であった時

自分が肉体から抜けて森の中へ飛んでいって

すると、葉っぱの声が聴こえて来て

自然界の声、植物の声

楽しいね、嬉しいね、気持ちいねって囁き合っていたそうです

そして植物の上を彷徨っていたら

今度は犬が坂道を上がって来て

犬同士が会話していて

「今日の夕食はなんだろうね」って話していたそうです♪

喋っている言葉を聴いたというよりテレパシーだったそうですが

そうしているうちに奥様が自分を呼ぶ声が聞こえて来て肉体の中にパッと戻ったそうです

それ依頼は同じ体験はしていないそうです


これを視聴してほんわかしてきましたね~

植物たちが、楽しいね、嬉しいね、気持ちいねって囁き合っていた

これって、私たちの本質ですよね

考えてみて下さい

私とか、この肉体を私とか、自分を個人的に捉えずに

ただ、目の前に現れる現象をありのままに生きていたのなら

みんな、こうなるんです

楽しいね、嬉しいね、気持ちいね

私は幸せだ!ではなくて「幸せ」がある

こんな感じ


実は私も以前、札幌に住んでいた時に体外離脱を経験したことがあります

あの時のことを思い出すと

私の場合は天井に上がって、この肉体Satokoを見たわけですが

今、同じような体験をしたのなら

この肉体を見ることはないと思います

それよりも、天井に上がっている私を見たいと思うと思います


でも、見れないんですよねー

私は私を見ることができません

私は私を知ることができません

よく、このことで真理の本なんかで表現している言葉がありますが

それは

「目は、目自身で自分の目を見ることは出来ない」というものです

それをやろうと頑張ることを

犬が自分の尻尾を捕まえようとしてくるくると回り続ける

というような話しもよく目にします

本当にそうなんですよね 笑

面白~い♪


先日LINEでブログの感想を教えてくれた方が言ってくれた

このブログを小説を読むようにして読んでくれている

これが、私の中でいろんなインスピレーションが湧いてきて

これからこのブログでは「真我」という言葉をあまり使わないようにしようと思います

なぜなら真我を求めても、本当の私を知ろうとしても

それを知ること、理解すること、わかることはできても

それそのものを知ることはできない

なぜなら“それそのもの”だから



真我をダイヤモンドとして表現してみます

で、全体性の働きを

全体性の働きとは、すでに私という個人が消えた人も消えていない人も

このブログを読んでいる人は全員「全体性」です

全体性の中味とすると、中味である個人になってしまうので

個人はいないんです!全体性しかないんです

その、全体性をダイヤモンドの輝き と表現してみます


つまり、こういうことです

ダイヤモンドから放たれる輝きは光の粒子です

その光の粒子は「動」 意識の動きです!

楽しいね、嬉しいね、気持ちいね・・・です♡


ダイヤモンドの輝き はダイヤモンドから外側へ向かって光を放ちますが

これは、肉体があるうちにはその性質として仕方のない事です

本当はダイヤモンドの輝きはダイヤモンドへと気持ちが向いている

でも、光の性質として自由意志はなく、外側へと意識が向く

ダイヤモンドの輝きは「動く意識」「遊ぶ意識」

自由です・・・

それを自由にしないのもダイヤモンドの輝き自身です


ダイヤモンドの輝きは個人的ではなく、自分とかそういう性質ではなく

全体として、全体の中で動いている遊んでいる

ピュアな光の粒子


神さまからダイヤモンドが現れた!それが「真我」

ダイヤモンドから放たれる光!それが「ダイヤモンドの輝き」

ダイヤモンドの輝きは動きのある意識であり

肉体が熟睡している時には動きは止まり

朝に目を覚ます時動き出す

つまり、肉体があるから意識は動くのだということ

このダイヤモンドの輝きは「動く意識」意識する

意識する前に気づくもの、それがダイヤモンド「真我」である

ダイヤモンドの気づき→ダイヤモンドの輝きが意識する→現象世界が二元性になって現れる

逆に言うと

現象世界に気づくダイヤモンド

「気づく」と「現象世界」は同時に現れる

そして

「気づく」の後に

ダイヤモンドの輝きは「意識する」

ダイヤモンドの輝きが意識するものすべては対象物である

あなたの肉体もダイヤモンドの輝きであるあなたにとって対象物です

あなたはダイヤモンドの輝きなのです

自然界の植物たちの囁きと同じなのです

楽しいね、嬉しいね、気持ちいいねっ♡です

小説という要素をもっと取り入れていくと

真我の先っぽとダイヤモンドの輝きの違いというのは

真我の先っぽは、初めは眠っていたんですね

眠っていた、それが魂ですね

魂から目を覚ましたのが真我の先っぽです

真我からこの世界へと突き出していって尖がったところが真我の先っぽでしたね

でも、自我と真我を行ったり来たりしているうちに真我へと熟成していったんですね

突き出していた尖がりが沈んで行ったということ

そうしたら

ダイヤモンドの輝きによって、真我の先っぽが融けてしまいました

よって、ダイヤモンドとダイヤモンドの輝きという

新しい世界が開かれて行ったというわけです


ここでブログを読むときには

自分をダイヤモンドの輝きだと理解してください

それは個人的ではありません全体性です

全体性がダイヤモンドの輝きです

個人的なエゴが入って来た時にはダイヤモンドの輝きはありません

ダイヤモンドの輝きでいましょっ♡

私もそうします♡















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