神さま

小説を読むようにして読んで♡

チューリップ1





多分鹿児島に来てからだと思うんだけど

気づけば口ずさんでいる歌があって、それは

富士の山   笑

頭を雲の上に出し〰♪ って

初めは何の歌なのか思い出せなくて

頭を雲の上に出すって、どーゆーこと?

と思いながら歌っていたんです

気づくと、何日も、何度も歌っているものだから

???

何の歌?

そこで初めて真剣に

頭を雲の上に出しって!

あー、そうか富士山か、富士山ねーって


で、私にこの歌を歌わせている

ある聖霊さまに気づきました

富士山と云えば…

ハートが温かくなりました

それ以降も気づけば富士の山を口ずさむ私

イイ歌だぁ〰〰〰


昨日、以前個人セッションを受けて下さった方から

ブログは私にはちんぷんかんぷんなんですが

それでもなぜか読んでいます

小説を読むように、世界観を感じながら読んでいます

理解できなくても読んでいる時の空気感が好きなんです

こんなふうに、LINEで

最近のブログの感想を教えてくれた方がいました

嬉しかった!

私も、特にここ最近の内容は、かなりの

ちんぷんかんぷんだろうなって… 笑

でもこんなふうに感じながら読んでくれているなんて

すごく嬉しいと思いました


ちんぷんかんぷんなら

小説を読むように、空気感を感じながらでも読んでみて下さい


過去のブログから最近のブログまでを

最近のブログから過去のブログの好きなところまでを

こんな読み方もおすすめします!

なぜか意識が動きます!


私たちは、本当に、本当に、本当~に

神さまから与えられ続けています

私たちはそれを受容し続けているんです

そのことに気づけるのが全体に気づくことです

こっちが、私だと気づくことです

これ、です

これ・・・

ここ最近、全体と意識という二つの捉え方で伝えているので

全体ってなに?

そう思っていませんか?

純粋に、これです

これ、しかないのです

これに全部詰まっている

詰まっていてピュアで躍動している光の粒子

常に新しい命

この命は生まれない、死なない、永遠

それが私たち、全体

全体は神さまのからだで、いつも受容している

真我は神さまの意識で、与えてくれる、与え続けてくれる

全体と真我はひとつ 

つまり、真我が真我に与え、受容している

この意識の神秘は探求によって得られる

探求とは神さまのこと



神さまは思った

神とはなにか?

神が神を知るためには対象が必要である


神さまは神さまから、個人的を創りだす真我を無限大に創造し

宇宙という表現の場を創造し

私とあなたという二元性を創造し

真我がひとり一宇宙を体験できるようにした

真我とは、つまり神さまそのものである


真我は真我から、個人的を体験する全体を創りだし

神さまはこの全体にすべてを与え続けている

そして全体はそれを受容することで

毎瞬ピュアな光の粒子から現れる現象を自分を通って二元性にして

きらきらした瞳で(意識で)ストーリーを見つめていた

しかしいつの間にか

肉体精神機構が形成されていくプロセスに連行されて同一化してしまい

本当の自分というものを忘れてしまう

マインドの世界は完全なる二元の世界で

なんにでも判断が伴い、ジャッジが起こり、依存執着が強くなり

苦しい、でも楽しい、幸せ、でも不幸・・・だってもっと幸せになりたいから


そこで神さまからのお誘い

こんな風にして

いつしか本当の自分というものに意識が向き始める


私の見ている現象世界と

あなたの見ている現象世界は明らかに違う

同じものを見ても、決して同じようには思わない

なぜなら、それこそが唯一、全体である証


神さまのからだに心臓が二つあったら困る

誰ひとりとして同じ色はない

全部で神さまだから


であるのなら

ひとりが見る一宇宙として

私が見る一宇宙で、あなたや他の誰かが居ても

それらは私、意識の反映であるから

私が見るあなたは 私です

そして私が見るこの現象世界は私でありながら

一瞬一瞬現れる映像のようなものです


これは肉体精神機構、つまり、肉体と心などを自分だと思っていると

この感覚にはなれないものです

あなたはあなたを

或いはあなたはあなたの愛する人を特別にしないといけないからです


全体では違います

みんな私

そしてそれらの現象を現している大元を知っている私は

コントロールしません

神さまと一緒にあるがままに、ただ“そうである”です

苦しいが現れたら

苦しいは去っていく

嬉しいが現れたら

嬉しいは去っていく


目の前に現れている現象があるだけ

ここは鹿児島?

う~んん、目の前にあるこの現象だけ

何も掴まない、ただ在るがまま

真我から見せられるすべての現象は、私「全体」の表現で

つまり意識の反映です!

私が、この意識が、唯一の主体性です

“いまここ”、五感六感で認識している現象、私が見る一宇宙は

私、在ると同じもの、真我と同じなのです


だから、余計な概念を持ち込まないで

色々、色々、考えすぎないで!!

ピュアな、この現象をただ、ただ、“そうである”でいて・・・


いまここで

毎瞬ピュアなエネルギーが受容されている

私と私のお喋りのとき

私は真我から与えられ続けている

それを受容、受容、受容・・・

そして日常でも「唯一・真我」から映し出される現象は

充足している

愛されている


ここんとこハードな、究極な話しが多かったけど

今日は愛を込めて言いたい

私、在る

神さま♡真我、有難うございます


昨日、夢について書きましたよね

あれについて

あれをブログに書いたことで

なんて言うのかな

終わっています



もう、そこに意識は向きません

それが起こるなら起こる


いままでもね、本当にそんな感じで

いつも必要なものは既に与えられていたんですね

そのことに気づけたのも、やはり全体に気づいたからなんです

みんな、真我を求めていると思う

でも、求めているのなら、本当の自分を見つめていかないとならない

この身体が自分でないのなら、何が、どれが自分なの?

私、在る

私はいまここの、この意識

この意識には大元がある

大きい大きい愛、すべてを与えてくれる

そして受容もしてくれる源がある

その源を「本当の私」という言葉で理解しても

頭での理解には限界があります


もしも、なにか困ったことが起きたとして

その事に100の自分を向けてあたふたする

でも、100の自分は100ではないのです

それはたったの0.1くらいですよ

いくら頑張っても0.1くらい

99.99999をあなたは知っていますか?

困ったことが起きた時

困ったことに意識を向けるのではなくて

その反応の、奥の奥の奥に

本当の反応がある

安心している

大丈夫だと言っている

そのことに気づくこと


そのことに気づくと

今度は、安心している、大丈夫だとわかっている自分に気づく

それが、いまここのあなた

0.1のあなたは、マインド、個人的なあなた


あっ!いま、自我の反応が現れた

いま肉体のみぞおちのあたりで、反応が現れた

「自我」が不安そうに

本当に大丈夫なの?本当?

何か困った事が起きても大丈夫なの?

みぞおちがキューっとした


自我はこんな風にして

いつも、自分を守ろうとする

いつも一生懸命に・・・


健気で可愛いと思う

唯一・真我は、この自我を抱きしめている

抱きしめているから

現れては消えていく

自我の不安を受容している

現れては消えていくもの、それは実在ではない


この、ひとつの肉体の中で

肉体、魂、精神、心、感情、マインド、思考

この中で何かが起こっているのではないのです

それこそが幻想なのです


肉体の外側ですべてが起こっている

肉体の内側外側に関係なく

全体で、すべてが起こっている

ように、感じている

感じるもの、それは実在ではない

感じるものよりも前にあるもの、それが唯一・実在

ごめん♪

またちんぷんかんぷんにしちゃったね ♡

でも、ただ“そうである”から仕方ない 笑









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