本当の自分に目醒める

暫し忘れていた夢が現れた…

チューリップ9



一昨日

鹿児島に来て直ぐに買った、ちょっとお高いチョコレートを

急に思い立って、牛乳に入れてレンジでチン

ホットチョコレートをゴクゴク飲んだ

美味しかった〰


昨日は朝から甘いパンをふたつ食べて、珈琲飲んで

12時少し前に、まだお腹空かないからと思って

お昼を食べる前に買い物に出かけた

片道7~8分、繁華街を歩き30分くらいしたら

急にお腹が空いて、フラフラになって

足に力が入らない感じで

血圧が下がっている感じ「やば〜い」

あー、バナナ食べたい

急いでエネルギーを補給しなくちゃー

帰ってから充分に栄養、カロリーを摂って

からだも落ち着きました


いま、どうやら過渡期であるようで

そのために

いつもよりもエネルギーが消耗されているように感じていて

食欲旺盛

からだがエネルギーを欲している


意識の変化変容を余儀なくされる人たちの中には

痩せてしまう人と太ってしまう人がいると思う

この身体は痩せるほう… ではない 笑



ひとり一宇宙という言葉に関して

全体は神さまのからだって、何度もここで書いているんだけど

なぜひとり一宇宙になるのかというと

私たちはひとつだからですね

神さまのからだの中に同じものは二つない

肉体として見た時に、心臓が二つあったら大変です

神さまのからだ、この全体はひとり一宇宙として

それぞれが意識の反映を現象として現し体験して行きます

だから、マインドで生きているとマインド意識の反映ですから

頭の中の反映です

でも私たちは頭の中とは違うんです

本当のあなたは頭の中にはいません

全体です、全体があなたです

その全体がひとり一宇宙を創りだしている


これも私独特の表現ですが・・・

肉体の半径1メートル内側外側に関係なく「命」が充満している

それが、私です

両腕を大きく広げて回してみて下さい、そこが全体

ここに私たちが見ているこの世界のすべてが入っている

時間も距離も空間もありません

光の粒子が充満していて、毎瞬新しいピュアな現象が現れている

それをこの目で見て、この耳で聞いて、この鼻で嗅ぎ、この口で味わい、この皮膚で触れている

そして意識でそれらを知覚している


全体は神さまのからだで、すべてが与えられ続けています

その全体という「私」を通って現象が二元性に変わりこの世界が現れる

それは神さまと一緒にあるがままなのです

なぜ全体に神さまが登場するのかというと

神さまのからだ「全体」と

神さまの意識「意識」は違う性質で同じひとつだからです

昨日も書きましたね、「静」と「動」であるということ

でも本当は真我は「静」とか「動」とかではなく真我は真我なんです

神そのものです

ですから、真我から「動」の側面が現れているという表現の方が

理解しやすいのかもしれません


真我はこの私を自分だと知っているし、応援している

もっと近くにおいでよ♡・・・みたいに

そしてこの私は真我です!真我以外あり得ません!


でも、私たちの状況は複雑です

だって、肉体があるから

昨日書いたブログで全体を私としてみるのなら

Satokoも含めた全ての現象は私にとっては対象物であり

その対象物には主体も客体もない、そして行為者もいない

全体である私はそれを毎瞬現れる映像として捉え

それを神さまの意識、純粋意識で捉えます

コントロール?できるはずがありません

現象に対して依存、執着?できるはずがありません

ひとり一宇宙という言葉に関して

ひとりが見る一宇宙のほうが

シックリくるのかもしれませんね・・・

私たちはこの世界で行為者ではありません

意識です!神さまの意識、それが私たちです

それを本当の私とか真我という概念で表現しています

真我という言葉に酔っていないで

真我というのは言葉であり、概念です

真我を誰もその本質を表現はできません

なぜなら、“それ”が私だからです

私は私を知ることができません

水は自分が水だと気づけない・・・


私が真我を表現するときも比喩を使ったり

これまでの体験からやってくるイメージで表現していますが

私は私を知ることができません

もし、知ることが出来るとすれば、それは「あなたを通してです」


昨日、夢が現れたんです

睡眠中に夢を見たという意味ではありません

純粋に、夢が現れた


それは、スピリチュアルの時に神さまにお願いした事と同じで

暫し忘れていた夢でした


今回の人生で、神さまの私を体験してみたい

神さまの私を見たい、知りたい


その時は、いま浮かんで来ているような深い意味はなかったんだけれど

と言うか、神さまの私と言っても

それが何を意味するのか知らなかった


でも昨日ははっきりとわかったんです


肉体の周りに、全体、命が充満していて、それは私…

肉体のハートの奥に真我が在ってくれる、それは神さまの意識


私は、私だけで

この肉体を通して本当の私を体験し、それを見る

ということは難しいと思っていて


それよりも

人の全体、人の内なる神を体験することで

私の全体、私の内なる神を体験することができる

こんなふうに思う


人と、人々と話し、触れ合い、

人の本質だけを真っ直ぐに純粋にみたい

それには相手にも同じ気持ちで私をみてもらう必要があると思う

だから、目覚めに向かってもらいたい

私はその過程を見守り、見つめ、変化していくその人の本質に魅了されながら

同時に「私、在る」の本質に魅了される…


そして相手の人にも私の本質をみてもらい、魅了されながら

その人自身の「私、在る」の本質にも同時に魅了されてほしい

もっと言うと

いつも私をサポートしてくれている在るである者たちにも同じように

私や人々の本質をみることで魅了されながら

在るである者たち自身の本質にも魅了されてほしい…


それは、その本質は、同じものであるから

ひとつを共有する全体である私たち

神さまの私たち

みんなで同時に「魅了」が起こったなら

こんな祝福と歓びと愛と調和が他にあるだろうか

素晴らしい体験を、沢山の人々と…


こんな夢が光の中から現れたよ…


私、在る

私、在るの「私」は全体、命、神さまのからだ

私、在るの「在る」は真我、神さまの意識


私、在るという言葉は

「私と真我はひとつ」という意味と

「私は真我をみている」「真我は私をみている」

これは、私と真我、独特の概念です

私、在ると言う時

私は真我をみています♡本当の私をみています


世の中は沢山の言葉や概念で溢れていますが

この世界に放たれている概念、言葉、表現を目にし、耳にして

私たちの意識が変化していって独特な表現が生まれるのは

大元がひとつであるからです

ここで書いている内容はスピリチュアルとは違うということに

あなたの意識はそれを見抜いているでしょうか

この肉体精神機構ではない

「私、在る」が本当の私なのだと、あなたは見抜いているでしょうか



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