真我の先っぽ

深い深い究極の話し

チューリップ6



今までの気づきや意識の変化というものは

実際に体験することでその前後に、気づき、変化、というものがあり

腑に落とすという流れになっていて

意識の変化は先に起こっていて

意識が変化したことに後になって気づくということが多かった


昨日混乱した状態で真我の先っぽが消えた!自我だった!

こんなふうに書きました


なぜ混乱が起きたのかというと

その原因は

突然やってきました

何の体験も気づきもないままに

真我の先っぽが消えてしまったからすごく動揺が起こったんです


これは、もう言葉にはできないんです

なんて表現して良いものかわからない

何かのエネルギー的作用が消滅した!みたいな感じかなぁ

ん~ 難しい

思考できない

シ~~~ン です


真我の先っぽは本当に自我なのか?というと

真我の先っぽは真我

真我はひとつ

真我とお喋りをして色々なことを教えてもらう時

真我とお喋りをするのは真我


Satokoと真我の間に意識の仲介が必要だった

自我から真我へと意識を行ったり来たりさせる必要があった

意識と言うのはゆっくりゆっくり変化していくものだから

今までの意識が、気づき→壊れ→新しい→定着するまで

それは神秘・・・

定着したら、もう絶対に元の状態には戻らない

意識って本当にすごいと思う

どの視点で見ても、意識「神さまの意識」というのは

ため息がこぼれます

ふにゃあ~~~って ♡


今朝目覚めと共にやって来たものは

私、在るだった

前にも書いたと思うけど

神さまの意識は「静」の側面と「動」の側面があって

意識の仲介をしていた真我の先っぽが消えたいま

全体、命、宇宙意識、神さま意識

神さまのからだである私は「動」の側面です


この前、人型の画像を使って表現してみたけど

肉体の半径1メートル内側外側に関係なく全体はあり

それは命であり、肉体が生きているのではなくて命が躍動しています

ここが「動」です現象が現れるものはここから現れています

全体を私として見るなら

私を通ってすべての現象は二元性に変わり主体と客体として

ストーリーが現れていきます

しかし、ここでいう私からすると

観照しているすべては対象物なのであって私はストーリーに没入しません

そうするとどうなるのかというと

私が観るストーリーの全ては主体も客体もありません

一切の分離がありません

現象として見ているもののすべては私がどのように見るのかであり

それは結局しかいないのです

観照者である主体的私しかいないのです

あなたにとっても同じです!あなたしかいないのです!



私が観るストーリーのすべては私です


毎瞬映画の映像がポンポン現れ

それを判断しないでワンショット、ワンショットを

ただ“そうである”という神さまの意識で、純粋意識で観る

全体は神さまのからだ

神さまは全体にすべてを与え、全体はそれを全受容している

必要なものはすべて与えられ続けています


そして肉体の(肉体があるから表現できることですが)

肉体のハートの奥に「静」の側面

それは神の意識です

真我の静の側面とは神さまの意識です

それは力強い、最高の知恵と最高の叡智と大きな大きな愛そのもの

モナドがそれを教えてくれました

肉体を使ってハートで愛をいっぱい感じて来ました


私は命

私は宇宙意識(宇宙の法則)

私は神さま意識(真我の静の側面も私)

私は全体、神さまのからだ・・・


あれっ?ちょっと待って!

他人事としてこれを読まないで〰

これはあなたのことでもあるのです

私があなたを見るとき

その肉体精神機構(肉体・魂・精神・心・感情・マインド・思考のしくみ)ではなくて

あなたの全体、あなたのハート

つまりあなたの全体とハートと

私の全体とハートは同じものであるから

私はあなただし、あなたは私です

ひとつです

外に出て街の中を歩いている時にすれ違う人々や日常というのは

映画のワンショット、ワンショットの連続でしかないけれど

私とあなたがコミュニケーションを取る時、関わる時というのは

私はあなた、あなたは私です


みんなみんな、究極のところでは

ひとつを共有している全体なのです

ひとつとは、一なる絶対意識 神さまです

神さまからすると、私たちみんなみんな神さまの一部、中味なのです






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