真我の先っぽ

表現体を失った自我

チューリップ4


マインド・自我


なんて、言っていいのやら

昨夜からまた混乱が起きていて

いない、いない、いないになってしまって

そして、いないって言っている“それ”もいなくなってしまって


これってどーゆー感じ?


チューリップは球根から咲くんだね

だから今年咲いて終わっても、来年も咲くね


チューリップ・真我の先っぽが消えた、で、あたふたしている

そしたら

個人的レベルでの「私はなに?」「私の幸せって?」「私のアイデンティティってなに?」

「わからない」「私はいない」ではなくて

ここで「私はいない」と言っていたのは頭の中での混乱?作用?であり


いまの状態は全体のところで

私がいない

私がわからないになっているような感じ


私はいないということを見抜いても

マインドはあり続けていて

それは現れたり消えたりしている

なぜならマインドというのは肉体と一体化した「想念」「観念」であるから


真我の先っぽは自我が創りだした表現体だった

多分、そういうことなんだと思う


なんとかして自分を表現するために、自分を認めてもらうために

自我が創りだしたもの

自我意識のアヴァター


いない、いない、いない

わからない、わからない、わからない


これをね、書いているのが自我であっても

目に見えない世界からやってくる自動書記であっても

どちらにせよ

まぁ、読んでみて、そして自分と照らし合わせてみて


自我はすごいってことを体験している、これは誰?


本当の私はひとつの 在る なのであって

いくつもあるものではない

真我という神の意識にグラデーションはない

真我以外は、全部自我である!マインドである!!ということになる


スピリチュアルのところで云うアセンションとは

意識の次元上昇であるけれど

意識を次元上昇させなければならないのは自我意識に他ならない

自我が自我意識を次元上昇させた果てに真我が在るんだろうか?

自我意識には意識のグラデーションはあるんだろうか?

ここは、あると思う



アセンションとは意識の次元上昇であり

意識を置く場所の次元が変わるってこと

意識が現象を反映させているのが「ひとり一宇宙」であるから

意識が次元上昇すると、これまでよりも楽に、豊かに、楽しく生きられるってこと


でも、生きるって何?誰が生きるの?

私という個人がいないのに

いったい誰が生きるの?誰のためのアセンションなの?

自我が意識を次元上昇させながらその果てに真我に到達するのであれば

自我は立派な神の意識であるということになる

ただ、神の意識がほんの少~~~~しであるというだけ

薬用の小さいさじくらいしか神の意識を知らない知ることができないってこと


自我の世界では何でも創りだすことができてしまうけど

その自我に意識を与えているのは神なのであって

すべての全ては神さまの中


究極のところで真我しかいないというのなら

真我じゃないのなら

他は全部、自我であるということ

私という個人的がいなくなっても

肉体は粒子、物質は全部エネルギーであるとわかっても

頭の中は他人様であるとわかっても

それをわかっているのは自我である!


自我って凄いと思うよ

ここまでして自分を表現したいんだから

やはり、可愛い、意地らしいと思う


チューリップが可愛い

そう思う


で、この先の流れを体験しながら

(いったい誰が体験しているんだって話だけど)

今後も意味不明な内容でブログは綴られていくのかもしれません

意識は動く、揺れる、踊る・・・

意識とは、意識とは、どんなに小さくとも神さまの中味である

消えていく運命であってもね


自我意識とはスピリチュアルの領域

魂、精神、心、感情、マインド、思考…

これらは肉体と別のものである「想い」と「判断」が

肉体と一体化して人間となっている

これはマインドの世界

念と念による創造の世界


これとは別に本当の世界があるよ

というのが真理の世界だね

真我と自我

真実の我と自分中心の個人的な我

この間には肉体があって

どちらも肉体の五感六感を通ってエネルギー的な事が

起こっている、起こしている

不思議だー…

このブログ

だんだんとヒートアップしていて

独特なひとつの「哲学」になっているみたい


哲学とはそれぞれの中に在るべきものであって

誰かのいうことが誰かの哲学になるものではない

だから探求というものが与えられているんだね

探求とは神さまだからね


真我の先っぽという言葉、概念を使って

数ヶ月間、真理や非二元を表現していたんだけど

その真我の先っぽが意識から消えてしまったため

何が何だかわからなくなってしまった


ちょっとこれは捉えるのが難しいんだけど

言葉にするとこうなるのかもしれない

全体になってしまったから

全体を捉える事ができなくなってしまった


意識の混乱の原因はこれのようです

やっと、混乱が収まって静かになって

いま、そのような言葉で表しました


・・・・・・



関連記事