本当の自分

私たちは全受容でいようね♪

美しい春



今日は

いつも書いている

「神さまのからだ」について書いてみるね



もちろん、これらは私独特の伝え方です

これを読んで様々な反応が起こるのかもしれませんが

まぁ、読んでみて下さい♪



神さまのからだは無条件にすべてを“受容するもの”

私たちは全体にシフトすると

どこにも力が入っていない状態で全てをあるがままに受容するようになります

現代ノンデュアリティのスピーカーさんたちがよく言っているように

すべては全自動で起きている


今日のブログは軸を決めてから読んでください

全体に以降した!私という個人はいない!私は全体である!

この軸で読んでみてください


神さま

神さまが神さまのからだに全てを与えます

真我

真我が真我の先っぽに全てを与えます


(このふたつは同じ意味です)


そして、意識は愛に基づくすべてを“与えるもの”

神さまは一なる絶対意識です

全体にすべてを与えていきます

つまり、神さまの視点では自作自演であると言えます♡

神さまが神さまのからだにすべてを与えるのですから

これは宇宙のすべての全てに言える事です

宇宙のすべてのすべてに無条件に与えてくれる神さま

宇宙は全体の中にすっぽり入って神さまに覆われており

宇宙は無条件にすべてを与えられ、それを全受容しているということです

神さまは宇宙でもあるということです


神さまが(真我が)映写機だとします

全体が(真我の先っぽが)スクリーンです

神さまが与えたものが全体(スクリーン)に映し出され

これがこの世界にダイレクトに現象として現れる

これが真我を実現したということ


インドの聖者、ラマナ・マハルシの人生から見て見ます

ラマナちゃんの人生はネットで検索してみてください

本を読んでいる方はラマナちゃんの生涯を自分なりに理解していますよね

ラマナちゃんは10代の頃に急に覚醒が起こり聖者となったんですが

生涯にわたって多くの探求者に真理を教えていきました

10代に家を出て、ひとつの場所から一度も離れなかったそうです

その場所にやってくる探求者たちに導きを与えていました


神さま(真我)がラマナちゃんに映写機を当てる

ラマナちゃんというスクリーンに映し出された映像

それはスクリーンを見る探求者たちからすると、偉大な聖者ラマナ・マハルシの教えであった


しかし、ラマナちゃんからすると

映し出された映像はダイレクトに目の前に現れている現象であった

それはどんな現象かというと、生涯にわたって探求者たちに真理の教えを説くこと


真我を実現するということは完全受容であるということ


何を受容するのかというのは、神さま(真我)が映し出す映像のすべてを受容すること

そこには完全なる神への(真我への)愛と信頼がなければできないこと

この神への(真我への)完全なる愛と信頼こそが要です

これを本当にできる人というのは

神のアヴァター(神の化身)であると云われています


ラマナちゃんからすると

10代に親元から離れて生涯にわかって神さまの仕事をしてきたわけですから

そこにはうんもすんもなかったはずです

うんとも、すんとも、言えない、言わせない

完全なる受容があったわけです


私たちは全体に以降すると

全受容になるということなのです

自分を(誰かを)コントロールすることなどできません

起きる事すべてを受容していきます

神の化身となるという領域は

誰かがそれを求めて“それに”なるというものではありません

それは自然発生的に起こるものなのです

私たちは全体に以降して

力を抜いて

ただ寛いでいましょう

私たちは神さまのからだであるということを知っていましょう

すべては与えられている

私たちは神さまに向かって全受容なのだと知っていましょう


神の化身?

これは別の領域です

忘れてしまって構いません




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