真我

真我は後ろで私たちを見守っている♥

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今日の写真も霧島神宮の自然の中で撮った写真です♥

この写真を見ながら大きく息を吸ってみて下さい!

エネルギーを感じませんか・・・


真理を探究していると、必然的に導かれていく

という感覚

自我が浮き彫りになってきて

私は在るという感覚と自我との違いがわかってくる

去年、ゆっくりと変わっていったもののひとつとして

思考が消えていく

行為した記憶が(過去が)消えていく

こんな流れがありました

だから「私はいない」んですね

“私”というのは行為の記憶の中での思い込みなんだということのようです


行為した、思考した過去を忘れるというのは

私がいないということを明らかにしてしまいます

勿論、記憶喪失ではないので

思い出さなければならないようなことは思い出すんですよ

必要なら


そして、私はいなかったのか!だからと言って何も変わりません


ただ、その一方で“私は在る”いう感覚に気づくようになります

“これ”しかないので…


私は在るという感覚は

みんなが唯一得られることのできる本当の私なのです

自我(頭の中)はこれを感じられないから

感じているのは“あなた”なのです

私は在りますよね



ハート、足元、足裏から地面へとグググーっと引っ張られる力

真我に気づいて真我に触れて真我と共にあるという感覚

ハートでもわかる

全体でもわかる

すべてに真我と在るという感覚はひとつとして在ります


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このタオル、全部が真我

この世界を体験、見ているのが真我の先っぽです

下へ沈むほど真我へと浸透していきます(言葉にするとこうなります)


ふと、思い出したんです

2016年11月から2021年1月までモナドとの濃厚な学び、体験

そして至福をたくさん経験させてもらいました

そんな中でいつだったか

一回だけモナドを五感でしっかり捉えた事がありました

後ろから抱きしめられた!言葉で表すのならこうです

後ろから背中を包み込むようにして抱きしめられました・・・


温かくて、なんともいえない感覚だった・・・


ですから、真我の先っぽである私が真我へと沈むという感覚と

もうひとつ

真我はいつも私の後ろにいる

後ろで見守り、そして包み込んでくれている

だから下へ沈むというよりも

後ろに後ずさりする

これ、すごくわかり易いですね

そうだ!後ろだ


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このタオルを家から鹿児島まで持って来ているという奇跡

えるね


例えばね、人間関係で苦しい状況になったとして

そうするとそこに前のめりになって没入していきますよね

でも、そんなときこそ

気が動転して前にある問題に没入するのではなくて

後ろに下がる!ということ

真我は後ろにいて、私を見守り包み込んでいるから

そんな時にこそ意識して後ろに後ずさりする!!


いつまでも苦しみが終わらないとか

ブロックを手放すことができないとか

なにか、自分(自我)ではどうにもならない時に

本当の自分へと後ずさりする意識を持ってみる!


やってみてください!


真我へと下へ沈むというのは

真我の先っぽ意識の

この世界でかぶせていった玉ねぎの皮を一枚外したときに真我へ浸透していきます


でも、いま必要な真我の愛、本当の自分を取り戻さなければならない時

つまり自分を見失いそうな時にこそ


気持ちの上では、問題に向かって前へ向かうのではなく

深呼吸して落ち着いて、後ろに下がること

後ろに真我がいるという意識を持つこと


神さまから自己意識を生み出す真我が現れ(神そのもの)

真我からこの世界へと向かう意識、それが真我の先っぽである私たち

タオルの画像で一番尖がったところが圧迫され

自分はこの身体だ!

このアイデンティティ私は○○だと思い込んでいたけれど

尖がった先の圧迫が緩んでくるにつれて

なんだか楽になる・・・

次々と思考が消え、過去が消え、個人の感覚が薄らいでいき

あ~、この身体=私ではなかったんだなと

腑に落とさない訳にはいかなくなった私


真我の先っぽ意識

意識とは、この世界で意識という名の付いたエネルギー

私たちは本当はエネルギーなのです・・・




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