新田神社
お正月休み最終日は
ひらきき神社に引き続き、一宮の神社である
新田神社にて参拝させて戴きました♪
一宮とは(いちのみや)
神社の社格を示す格式のひとつで
昔は、各地域を一つの「国」という呼称で呼んでおり、その各国の中で最も格式の高い神社のことを
「一宮」と呼びました
では、なぜ同じ鹿児島県に「一宮」の神社がふたつあるのですか?
という疑問が湧いてきた方はご自身で調べてみて下さいね
新田神社は階段がもの凄ーく長いです!
私…頑張りました 笑
樹々たち植物たち

自然がいっぱいの新田神社
長い長い階段が、太ももの”気持ち”を引き出してくれた
からだは思っている
もっと動きたいなぁ
でも負荷のかけ過ぎには気をつけて!
いい空気をいっぱい吸いたいよ♪
できるだけ自然の中にいたい♥
こんな風に・・・
長い長い階段を上ってから少し経って気づいたんです
あれ〰♪太ももが喜んでいる
太ももが ジンジン、シュワシュワと喜びを表現してくれてる(๑>◡<๑)
そっかー!
ずっと運動不足は気になっていたし
筋肉が落ちている事にも気づいていたけど
まさか長い階段を頑張って上った後に
喜びを、”感覚”を通して伝えてくれるだなんて驚きでした‼️
こんなの初めて♪


私たちは真我の先っぽだよ、と
何度もこのブログで伝えていますが
実際、真我の先っぽって なんなん?
うん
これだよ
長い階段を上って、太ももが感覚を通して喜びを伝えてくれた
どうしてそうだと思った?
これ、
思った私、
気づいた私
これが真我の先っぽ
気づきだよ
私たちは気づきなんですね
真我の先っぽでないなら
これら(太ももの感覚)をスルーするか
「なんだよ、たったあれだけで太ももがジンジンするのかよ」
みたいな、エゴ
これは純粋ではないですよね
でも、太ももが喜びを表現してくれたんだねって
気づく私、この意識は大元である真我に似ているんです
エネルギー的表現であれば同じ種類のエネルギーだといえます
姿かたちなき意識とはエネルギー的ですからね
真我の先っぽから
すべての意味や判断といった部分を抜き取った
“無色透明な意識”
(ダブルクォーテーション、いまわかった!)笑
これが真我です
だから、この世界に参加して没入して行けば行くほど
意味や判断が伴ってきますから
真我の純粋意識から遠ざかっていくんですね
真我、真我の先っぽを理解することは
意識の面においてはとてもシンプルです
ただ、真我の力、神なる神秘の部分は
これは私たちが想像するものを遥かに超えていきます
真我の意識→真我の先っぽの意識→自我の意識
色、視野、次元、重さ、濃さ
どんどん変化して行くのがわかりますよね
そんな中で思考とは
色も視野も次元も重さも濃さもありません
これは、ただ思考するだけなんです
そこに意味づけをするのが自我意識、エゴですね
肉体も、思考、マインド、心、感情、
これらは気づきをくれる、きづかせてくれる
私=気づきのパートナーのようなものなのです
だから、悶々としている時に
いま私が 悶々としているのではなくて
心が、或いは頭の中が、悶々としているんだなぁと気づくこと
その理由を深堀して調べていくなら、それはそれが起こったこと
深堀せずにスルーしたなら、それはそれが起こったこと
ここに自由意志なんてものはありません
なぜなら気づきが真我であり、真我の先っぽであり
これは神さまの中で起こっている、決まっているひとつの気づきだからです
ひとつひとつの気づきは
気づくことが決まっているからです
ですから両方に対して深堀しない(気づきを深堀する、しないに対して)
気づきとは、いつも大元からやってくる
それに対しては完全に自動的・・・
私たちは、気づきの意識であるということ
これだけは、よくよく知っておくとイイよ♥
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