神さま

魂は真我の先っぽ

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美しい…

鹿児島市では
いままさに銀杏の木から葉っぱが落ち始めています

こっちに来た日にも写真を載せたけど、背が高くてほんとカッコイイのですよ

この写真は住んでいる部屋のベランダから、昨日撮りました!因みに夫の部屋は3階です!まだまだ銀杏の木のほうが背が高いよ♡


魂はあるのか
あるのだとすると、魂は死す事はなく、輪廻転生をする?この肉体の中に魂がある?それが私?


少し捉え方を変えて書いてみるよ


これは、これまで経験してきて、私が感じて、気づいてきたこと”これまで経験してきて”と言っても、その全てを文字に起こすことは中々難しいんだけれど……
ちょっと、ブログにまとめてみようと思う


魂は「真我の先っぽの意識だった…」
この捉え方で、何が変わるのかというと


私というのは、人間という
身体と身体の中身に限定された小さなものではなくて、
一なる神である絶対意識の”ほんのちょっと意識”が私たち「真我の先っぽ意識である」のだということ


真我の先っぽは本当は個人ではなくて、真我という全体そのものであり、一切の分離はない


まさに、これ!これしか無いということ


これね、私も何度も何度も思ったけど、つまりSATOKOという名前がこの肉体についているから、私だと思い込んで来たけど、初めから私は居なかったって話しだよ!
居ないと言っても在るんだよ!ずっとちゃんと私は在るなんだよ!私たちは意識…意識だからね


よーく観察して見てご覧♪
その肉体は私?
肉体を五感で感じているから強固に「私」ってなってしまうけど、生きとし生けるものは皆んな同じだよね!生まれて成長して衰えて死ぬんだよね…でもそれ、私なの?本当にそうなの?よーく観察して見てご覧♪


全体というのはいつでもここにある普遍の意識であり
微動だにしない真我そのもの!真我 ☆真実の我☆


「全体」は呼吸よりも身近にあり、いつもここに在る…ただ、静かにここに在る


スピリチュアルに精通している人やエネルギーを感じやすい人ならゆったりと座って両腕を広げて手のひらに意識を向けてみてください!眼は開けていたほうが良いでしょう


どうですか?エネルギーを感じますか?ビリビリして来ましたか?心地よいですか?


眼を開けたままエネルギーを感じ、今いる場所から完全なる「無」と「空」に意識を向けてみてください


それが、これです!それがあなたです!そっちがあなたなのです!私の中に身体があるんです!分離は無いですよね?完全に空ですよね?靴を履いて外に出てもこれは変わらず在りますよね?ずっと、ずっと、いまここに在りますよね?


魂は個人
私は私を生きて宇宙で次元上昇する!
(それも楽しいよね♡)


真我の先っぽ意識は、全体です
魂が目覚めて自分はこの肉体は私ではなかったのか!
真我の先っぽ意識だったのかと気づく


魂は夢から覚めると
個人が存在していない事に対して仰天!!物凄く驚く…
そして魂に意識の転換が起こる………


真我の先っぽ意識へ…
これを目覚めの第一段階というのだと思います


この段階で非二元へ真理へと舵が切られる!
ここまで来ると真我の先っぽ意識は、真我へと熟成する流れからはもう逃れられない


何故なら真理というのは神そのものであり、究極の真実であるため、そこへ向かう流れが来たなら、その吸引力はこれまでの意識を破壊していくほどの力があります


夢見である魂の時には、魂自ら気持ちを伝える事は殆どなく、何故なら魂が思いを伝えるまでもなく、思考やマインドが主導権を握り「私は」「私が」「私を」「私に」と、私大好き人間が爆烈しているため、魂がそれ自身の思いを口にする事は殆ど無かったでしょう


だから夢から覚めて真我の先っぽ意識にシフトすると、これまでにないほど私という意識を表現しようとする!「私はこう思う」「私はマインドを生き切った」「私には願望はない」「私は」「私が」「私を」「私に」……そして気が済むと、少しずつ「私」からリタイアしていくのです…


私の場合はこのあたりから思考は次々と消えていき、過去が無くなり、未来を想像する基が無くなりました!結果、いまここに在るしかなくなるのです


しかし、思考はしますし、マインドも相変わらずです!なのにそれに影響されていない「私、在る」が居ます!それに気づいています


ここで押さえておいてほしいのは、「私、在る」に気づいている”私が居る”ということです!それが真我の先っぽなんです!真我と同一でありながら、一人ひと宇宙を体験しながらゆっくりと真我へ熟成していくの ”だろう” と、思います 


何故だろう?スピリチュアルで充分に幸せだったというのに、何故わざわざこんな経験をしなければならない?


それほどまでに、私たちは「個人」という感覚を強固に信じているから


いくら頭では私は肉体ではないと理解しても、長い間、思考やマインドと一体化していた「私」という感覚は、意識の気づきや、また元に戻るという、厄介な状態を繰り返しながらゆっくりと真我へ熟成が進んでいくのだと思います…


これはこの身体「私」から本当の私へと還っていく
壮大なストーリーなのです


魂というものはありません
でもこの世界では、魂というものは宗教や色々な教え、概念が多数存在しているため、私たちはそれらを自分で知ろうとはせずに、この世界に既にあった概念によって信じ込んでいただけなのですね


じゃあ幽霊とか、幽体離脱とかをどう説明しますか?


これを説明していく思考こそが自我であり、私ではないものなのです!もしこれを説明し始めるとすると、それこそが幻想へと没入していくことです


思考はします!自我はこの事に対して、あーでもない、こーでもないと沢山の理屈や概念を持ち出して説明しようとします 

そして、それは「私」という個人を信じていた時には真実だったのです

前にも書いたかもしれんが、非二元を、これは本当の事なんだなって、腑に落とすきっかけとなったのは、以前の私はYouTubeで活躍しているカードリーダーたちのリーディングが大好きだったし、めちゃくちゃ当たっていたんです!なのに非二元に無理矢理方向転換させられ、受け入れるしかなくなった辺りから、つまり「私はいないのか」となった辺りから一切当たらなくなってしまったんですね!それはもうびっくりするくらい当たらない


意識なんですね…
意識がどこを向いているかで真実が変わってしまうということ
そして、絶対に変わらない普遍の真実こそが「真理」であり本当の私「真我」である!それは一切の分離のない全体である…という事なのです


これを書きながら
私も、なるほどね…なるほどねと納得しています


本当の私たちというのはシンプルなんです
ただ、これ!なんです
生まれてないんです、死なないんです、始まってないんです、終わらないんです


これ以上の解答はありません

このブログを最後まで読んで思考がちんぷんかんぷんだと叫んでいる”あなた”


そんなこと言ったって、私はあれもやりたいし、これも達成しなきゃだし、もっともっと幸せになりたいのに…


それで良いと思う


でもどうしても非二元が気になる、真理へと導かれている、神の吸引力を感じる
そういう人にとってはこのブログは”なるほど”となるのではないかと思います











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