神さま

究極過ぎて目が点



私は神さまが大好きなんですね

あっ 知ってますよね 笑


非二元でいう全体とは神のからだであると私は思っています


絶対意識である神の意識

そして全体である神のからだ
だから全体神だと言っています

そのからだの中身が私たちだ!と言っているのです

全体 真我 神のからだ


この身体は自分であるという設定の中で生きて来た私たちが
このことを知ることは
この上ない喜びではないでしょうか
神さまのからだの中にいつも居るということなのですよ
神さまのからだの中身なのですよ♡♡♡


そしてこの肉体から抜け出すときが来たとしたら
それこそが神さまからのお誘いです

それを断る人はいませんよね




真我



ソース

大いなる

一なるもの

そう、絶対意識。。。


意識なんです

神さまは意識

姿も形もないのです

声もないんですよ

完全なる無


では多くの人たちが神の声を聴き
恩寵や啓示を受け取っているのはなんなのかというと


神はすべてなんです
神は天照大神として、阿弥陀如来として、摩利支天として、世界の神々として
サンタクロースとして♪ 演じているのです♪遊んでいるのです♪
そしてその正体はというと 無であるということ


私たちも全く同じ方法です
Satokoを使ってこの世界で「私は在る」を体験しているのです


本当は何も無い
何も無いからこそ 意識する必要がない
意識する必要がないから無である
いま、意識する対象がこの身体です
この世界のすべてを身体を通して意識しています
意識する対象があるから意識できるのです


究極すぎて目が点・・・ですよね(#^.^#)


私たちというのは 
 “神のからだ”  “神の一部” “在る”  “真我”
神さまと一緒にあるがままに

全体の中で寛ぎながら 目の前に現れる体験を


 “神さまのからだの中で” あるがままに






202210262205504cc.jpeg
関連記事