真我

我は我なり我はすべてなりの続き♪(超重要)

銀杏並木ちいさい (2)




こう、こう、こうで、こうだから、そういうものなのだ!!

という知識(頭の中)からくるものではなくて

体験されたことに気づきが起こる

あ・・・ あれはそうだったんだ

そうか!そうか!そういうことか

というように


真理を探究しているとこのような気づきが増えてきますよね

前回書いたブログで

我を失うことで我に気づくという

我は我なり我はすべてなりに至ったという体験を書きました


我はとは そうです本当の私(真我・全体)です

我なりとは そうです私です

私が真我なのではなくて真我が私なのです(この違いは大きいです)

そして我はすべてなりとはSatokoも含むすべてということ


我を失うというのはこのようなものでした

非二元が深まってくると

肉体精神機構という肉体とその中身には自由意志はなく

すべてが完璧に起こっていることがはっきりと体験できるようになります

本当に必要な行為は後になって、終わっていることに気づくことが多いです

行為をしたというより、行為が起こったという感覚です

ここからがすごく大事!!

この肉体精神機構と「私・在る」が同一化してしまうと

すべては自動的だからとなってしまってが弱まっていくのですね

そうすると肉体精神機構に何らかの体験が起こった時に我が弱まっていることで

グラグラになる!グラウンディングが弱くなり足元がグラグラ



二元の世界と本当の私とのバランスが崩れるということだと思います

崩れるということは、肉体精神機構の方に意識が傾いているということ

だから、本当の私である「真我・全体」が私である!!という

在るに徹しなさい!!という体験でした

主体があるということ!主体が真我で客体が肉体精神機構であるということ

素晴らしいこれを書きながら

私も改めて感謝の気づきです


現在私は真我への熟成期間を過ごしており

この大切な変化の時に仕事をするべきではないと考え

なぁ~んにもしていません

なぁ~んにもしていないからこその

体験と気づきはどんどん深まってきています

変化を観照する側として思うことは

しっかり体験が起こっています

そしてそれに気づいています


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