本当の自分に目醒める

弱虫ペダル♪が面白かったって話し

珈琲の色々



ネットフィリックスで「弱虫ペダル」実写版の映画を視聴しました

面白かったの!すごく


しかも数日前の夜と、次の日の午前中にも見た

なぜかというと

ちょっと深く理解したかった、登場人物たちの感情の部分



ロードレースってチーム競技だから

自分だけがタイムをあげればいいってもんじゃない

アシストする人たちの役割とか

そういった部分を全然知らずに見たものだから

なんだかしっくりこない部分と

面白い!というふたつの感想が浮かび上がったのね



で、自分なりに登場人物の役割をイメージして

きっと、こう、こう、こういうものなんだろうな

みたいな私なりのロードレースに対する認識で

もう一度見たわけ

一回目と二回目では また全然違うものになった



それから、ロードレースというものをネットで調べて

基礎知識を学んでみた

あ~、やっぱりそうか!ってなってね



レースで他のチームも含めての先頭

50キロ走り続けるって、どんなだと思う?


一回目にはそんな気持ち、スルーしていたの

でもさ!高速道路をずっと一番前で走ったらすごく疲れるよね

いい加減、誰か追い越してよ!って、そう思わない?



前に誰かが走っているって

それだけで安心するんだね

緊張感が薄れる



ロードレースは誰か一人が一位を獲ると

そのチームは優勝になるから

とにかくチーム全員でひとりをアシストするんだね


弱虫ペダル

ロードレースの基礎知識を少し入れてから見ると

すごく面白いよ!!

なに?そんなの知ってるって?? 失礼しました(*^。^*)

King &Princeの永瀬君の演技、声、役にピッタリハマっていた

可愛かった(*^▽^*)




真理の話しってどんなに言葉を尽くしても

完全ではないって、よくいうよね

完全になるわけがないよね

私たちはその全体性を知ることなんてできないのだから

私たちそのものがその全体性の中の一部なんだから



私たちは「弱虫ペダル」の登場人物のひとりさ♪

みんな誰かをアシストしているの

で、誰を?という誰の部分は別に気にしなくていい


真我に気づき、真我に触れていると

一瞬一瞬の中にフレッシュなピュアな気づきがある

今の私の状態には残りの人生?というものはないの

これまでの人生?というのもないの

これしかないの、今ここの“これ”しかないの

次々と過去が消えていく

未来?そんなのも意識に上がって来ない

これが“いまの私”の状態

Oshoが語るタントラと同じような意識状態です



Osho ~究極の旅より~ タントラを語る

闘う必要なんかないのだ

泳ぐことすら必要じゃない

ただ流れといっしょに漂うのだ

<川>はそれ自身でひとりでに流されている

あらゆるものが必ず究極の大洋に至る

あなたはただどんな妨害もしないことだ

<川>を押し進めたりすることはない

ただそれといっしょに行けばいいのだ

<川>といっしょに行くというそのこと

<川>とともに漂うこと

<川>とともにくつろぐこと

それがタントラだ    
 
    ~ 究極の旅 第五話より~


今日載せた画像


自我はクリーミーな泡、神さまの意識が一滴のカフェラテ


自我とハイヤーセルフが少しづつ溶け合っているカプチーノ


自我とハイヤーセルフがひとつとなり真我の先っぽが現れ

神さまの意識がお玉一杯分となったカフェオレ


そこから今度はミルクが抜けてブラックなコーヒーへ

究極まで自我が抜け落ちて純粋意識に向かっていく

熟成、熟成しながらそのプロセスは進んで行く


いつしかブラックなコーヒーから黒が抜けていき

無色透明な固有のもの絶対意識である神へと・・・



そして醒めた状態で肉体の寿命が終わったなら

神の意識である私、在るから

肉体が消え、世界が消える

初めから

初めから神さまの中にいた

これがOshoが本の中で語っている

あらゆるものが必ず究極の大洋に至る

私たちは、そういうこと。。。


そうさせないのは自我

そう思わせないのは想念


こんなちんぷんかんぷんな話し

それでも誰かの意識に触れて

ピカっと気づきが起こり

誰かの意識のアシストになっている

の、かもねって 話し♪








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