神さま

在るという感覚

海の写真1



2歳になる前から

なぜか?どうしてか?誰も教えていないのに

Cocoちゃんは自分で靴を脱いで

左右きちんと確かめて揃える


Cocoちゃん靴を脱ぐ



なぜ?

親はちゃんと靴を揃えているのか?

揃えていないようだ

じゃあここに来た時にはどうだろう

私や夫は靴を揃えるだろうか?

揃えないでいいように靴を脱ぐ 笑

Cocoちゃん靴を揃える


こういったことを不思議と呼ぶならば

世の中は不思議だらけだ 


可愛いったらありゃしない♡♡♡





染みついている感覚「この身体が私」を一旦横に置いて

身体、皮膚、空間に関係なく「在る」を感じてみる



そもそもどうして受け入れられないんだろう



身体は私ではない

私はこの現象世界に現れていない

私には身体は無い、心もない

あるのは意識

それも神さまの意識をみんなもれなく一滴ほど授かっている

しかしハイヤーセルフと共に在れば

一滴の神の意識はお玉一杯分くらいの量に増える

真我にモナドに融けていけば、もっともっともっと

神さまの意識が私という在るを大きく拡げてくれる



在るという感覚を

このように表現する人は他にはいないでしょう

でも、私ね

本当にこの身体は私でないという感覚が日に日にハッキリとしてきていて

私は意識である!という感覚が当たり前になってきている

これは、理解ではない

これは、言葉にできない、そうなのだ!!それなのだ!!

という感覚

これ、在る! これが私なのだとわかっている


しかし、その反面で、五感があり、自我があり

元々の感覚が消えて行ったわけではなく

それと、これ、在るとの間には隙間があるのです

私はそれではない

私はこれだ。。。という感じです

しかし、私はこれだ。。。という感覚がハッキリとしてはいるけれど

それほど強くはありません、というか強弱があるようです

これは究極の不思議だね (*^▽^*)



でも、私がこういう感覚になっているということは

あなたも、そうであるはずなのです

みんな、そうであるはずなのです

神さまの意識が一滴

この一滴があるから、私たちは神さまを信じるのです

神さまに祈るのです

神さまを求めるのですよ

どうして一滴とかお玉一杯分とかの表現になるのかというと

この身体というものの大きさに合わせたらそうなる

もちろん比喩だよ



神さまの意識がお玉一杯分くらいに増えたら

どうなるか?ちょっと想像してみてください

それはね、なんだろ、サイキック能力がどんどん開花するとか

そういったことじゃないのね

神さまの意識が増えていくとそういったことに興味が無くなるのね

幸せとか、不幸とか、達成とか虚無とか、喜びとかなんとか

そういうことにも意識は向かなくなる


でも、私はちゃんと在るんだよ

最近のマイブームは

右手でブルートゥースで飛ばした小型スピーカーを持ち

右耳の近くに寄せて好きな歌と共に


左手ではスマホにその曲の歌詞をだして歌うの

大声で

あっ 忘れちゃいけいないもう一つの事

換気扇を最大で回す


外に私の声が聞こえないように 笑



車の中でもいつも歌っている


私はいつも音楽に合わせて踊っている


この現象世界に現れていなくても

私は在るんだよ

大空を自由に飛ぶ鳥さんのように





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