無心
Oshoは「存在の詩」という本の中で
否定的なものを終わらせる前にも無心に至ることができると語っています
東洋のある教えにおいては
ひとりの人間が<無心>を学びはじめる前に
その人が否定的(ネガティブ)であるのをやめるべきであるということについて
多くのテクニックがあり、それが大変強調されている
なぜなら、いったん<無心>に到達し
しかも否定的な意向を持ち続けるようなことがあったら
あなたはひとつの危険な力になり得るからだ
<無心>が達せられる以前に人は完全に肯定的になっていなければならない
あらゆる体験というものはすべてイマジネーションだ
ただ体験されることは幻なのだということを覚えておけばいい
ただ<体験する者>のみが真実なのだ
ここでいう体験する者とはこのブログでよく使う私独特の表現
真我の先っぽ
<観照者>に注意を払いなさい
<体験>にではなく、その観照者に焦点を合わせなさい
ここでいう観照者とは真我のことだと私は理解しています
因みにこれとは別に観察者というのが真理ででてきますが
これが「真我の先っぽ」のことだと理解しています
真理を探究する前は「真我の先っぽ」は麻酔状態のようなものです
ですがある時ぱちっと目を覚ましてエゴの観察を始めます
ですからこの本にでてくる体験する者が
眠っているのか目を覚まして観察者となっているのか
深読みしすぎてしまう私「真我の先っぽ」です
たとえどんなに素晴らしくとも
一切の体験はみな夢もどきにすぎない
人はそれらをすべて乗り越えて行かなくてはならないのだ
世の中には様々な魔術的なものがあり
それらはすべてイマジネーションであり
すべて幻
信頼しなさい
様々なメタファーに耳を傾けもしなさい
しかし覚えておくこと
それらはあくまでメタファーだ
信頼するのはいい
沢山のことが起こりはじめるだろう
しかし覚えておくこと
<あなた>以外のすべてはイマジネーションなのだ
そうしてあなたはそこにどんな体験もない
そういう地点に行きつかねばならない
ただ体験のみが、その住み家に静かに坐す
どこにどんな体験もない
どんな花も開いてはいない
違う
何もない
体験のみが、その住み家に静かに坐す
私的に、この部分の理解が非常に難しいと思っていて
こういうことが意識の段階、段階で理解が深まり腑に落とすことができていく
それこそが真理探究なのですよね
これは真理を探究していかないと理解できないところだと思います
それにしてもOshoという人もすごい人~
この本も、びっくりする
<無心>悟りは終わらない
無心が真我実現なのではなくて
真我へと熟成は続く・・・
その先には神への道が続いています
今の時代にこの道へと行く人は稀なのだと思います
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