何度も繰り返し読みたくなる本がありますよね
どうしてそうしたくなるのか?
なぜそうする必要があるのか?
Oshoにハマっている
彼の禅に対する解釈や様々な言葉を自由に使って
自由に表現しているその世界観がすごく好き
そして
私はそこに、彼の言葉ひとつひとつに神さまを発見する
Oshoの本はすごく沢山あるのね~
そんな中でも禅を伝えながらの小話がすごく面白いし
意識にす~っと入って来る
私は、こういう本はね音読するのね
そして所々で読むのをやめて対話をする
まるでOshoと対話しているかのように
究極の旅
この本は4日前に届いて
次の日から読み始めたんだけど
ハマりにハマっている
Oshoにハマったきっかけは
草はひとりでに生える
という本がきっかけ
なんか、震えたね
からだが
さっき音読したところに
こんなことが書かれていたよ
ふつうの読書はただの読書
機械的だ
だが、もしあなたが
まさにその読書そのものがひとつのレッスンになるぐらい
深く没頭して読んだなら
そのとき、その読書自体深くあなたの実存にはいり込んで
あなたの記憶の一部だけでなく、あなたの実存の一部になってしまう
あなたはそれを吸収してしまう
あなたはそれに酔っぱらってしまう
あなたはそのメッセージを数多くの言葉で持ち運ぶのではなく
自分の中にその精髄(エッセンス)を持つ
まさにその精髄的なものが
あなたの実存の中にはいり込んでいるのだ
ふつう本を読むときには
一度それを読んでしまえばその本はお終いだ
二度読んでみても意味はない
三度読んだりしたら
それこそ馬鹿みたいなだけだろう
しかしパート(レッスン)では
あなたは同じ本を毎日のように読まなくてはならない
その中に書いてあることを知るという問題じゃないからだ
そんなことは(本の内容は)もう知っている
それなら、彼らは何をしているのか?
彼らは(何度も読み返している人は)自分の意識を
くり返しくり返し同じチューニングに合わせているのだ
彼らはもう本を読んでいるのじゃない
彼らは自分たちを異質な空間(スペース)に
異質な時間に
異質な世界に転移させているのだ
何度も繰り返し読みたくなる本
読まなければならないように引き寄せられる本
何度読んでも気づきがある本
これまで沢山本を読んでいるけど
記憶?記憶されたものはないね
記憶しなければならないなら読まない
覚えようとして読んだら疲れる
覚える必要なんてない
覚えたくて読んでいるんじゃないの
そう、感じたいの
エッセンスを吸収したいの
そして
今までわからなかったことがわかる瞬間にわくわくするの
それは大きな意識の変化だからね
そうか、レッスンだったんだね
そんなつもりなかったけど
レッスン
これは感受性を磨くためなんじゃないかと思う
意識に乗せて感じる
深く感じる
奥深くどこまでも意識に送り込んでいく
まさに吸収されていく
まさに酔っぱらってしまうほどに
こういった真我実現、悟り、目覚めの本って
私たちは無意識にそこへ引き寄せられているんだよね
だから読みたくなる
というか、触れたくなる
そのエネルギーに
始めて真理の本を買ったのはラマナちゃんの本なの
ラマナ・マハルシね
二冊買っている
でも、なぜか読んでいない
まだ、まだ、まだだよ
もっとレッスンしてからにしなさい
最後の最後に読みなさい
真我が私にそうさせているみたい
台風の影響か
ここ数日は曇り空が多く気温も少し落ち着いて
湿度が高いけど過ごしやすい
秋の読書
私のおススメは
今日書いたブログのように
何度も読んできた本をもう一度
今度は音読してみる
そして気に入っているところや意識に触れるところで
一旦読むのをやめて、そして対話してみる
私はここはこんな風に思うの♪
それは以前にこんな経験をしたから
いま思えば、あの経験はそういう事だったんだね
・・・・・みたいに(#^.^#)
ちょっとびっくりしました!
いま、ふと思い出したんです
そういえば、いつだったかOshoの言葉をこのブログで書いたような気がする
Osho
これは私、まだ全然真理について知らない時
これから知って行こうとしていた時だね
なかなかいいこと書いてるね 笑
約1年後のいま私はOshoに夢中だ♡♡♡
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