本当の自分に目醒める

深刻さは要らないね

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それにしても、ミステリと言う勿れ
このドラマは深いよね


スピリチュアル(霊性)を大事にしている私にとって
整くんとライカさん、そしてこれまで登場してきた人たちの
心の世界が理解できる分
なんとも魂に響く(心の奥深くに響く)素晴らしいドラマだと思っています


肉体は魂の「器」、「乗りもの」と言われるけど
あるひとつのアイデンティティ(個性)の
決められた寿命を全うさせるために
天からやって来た、別のアイデンティティ(ライカ)
肉体の所有者の痛みの部分だけを引き受けてあげて
ライカはただ、この肉体の所有者の幸せを願っているという


この世界の当たり前を知らないライカは
この世界の楽しみや喜びや恋を知らない
そんな彼女が整くんに恋をしてしまい


それは肉体の所有者にとって、よろしくない状況を生み出すことになる
そして恋をしたライカは
いつしかこの肉体の所有者になりたいと思ってしまうかもしれないと
自分で気づいてしまった
そして、自らでこの世界から消えることにした

泣けたな・・・



我思う故に我在り って言葉
これっていまひとつ理解できないんだけど
自分ごととして考えてみると、私の場合はこうなる!



「我思う故に他者在り」と「他者思う故に我在り」



この世界に私以外の人がいないと
私は自分がわからない
私は自分を知ることができない



でも本当は
我はいない
他者もいない


ただその現れをみせられているだけ
私の宇宙(心の世界)は私だけが視ることができる世界で
他の誰も、決して見ることはできない
(上辺だけなら見て取れるだろうけどね)
そして自分という自我でさえも自分の宇宙のすべてを理解してはいない
というのがこの幻想世界です


頭の中は他人様 (頭の中とは自我のこと)
真ん中が本当の自分(ハートでわかる感覚)


本当の自分に意識を向けていく作業は
とにかく観念や想念を徹底的に手放していくという作業で
自他や外に現れている事象などに対して
ただ、ありのままに
みていけるようになっていくプロセスですね


その世界(非二元)の世界からみえるもの
それは、すべては完璧に起こっている
外を見ればきりがないけれど
観念や想念が無いところ(非二元)で物事をみていくと
安心で安全で、幸せの中にいるのだと気づくことができる


いま、やってみるといい


目の前に現れている部屋?職場?外?どこであれ
視えているものに対して無意識で、何の思いも無ければ
それは静寂でしかありませんよね
この静寂と、この静寂を感じている者


この静寂が神さまの中で
静寂を感じているのが本当の私です
究極は 
この「静寂」と、「静寂を感じている」はひとつですけどね



ありのままの自分がここにいて瞬間瞬間に何かを選び
視て、聴いて、触って、嗅いで、味わって、感じている
それができるのは肉体という大事な器があるおかげ
この肉体は自分ではなくて、自分とは何なのかを
五感を通して経験させてくれるもの


こういったことって
もうずっと前から知っていたことなんですよね
あなたもそうじゃないですか?


だけど、いまここでこのことを書いている私は
以前とは違う感覚で
まるで初めてこのことを知ったような感じで書いています


これって
スピリチュアルと非二元の両方を交互に深く探求していくことで
スピリチュアル→非二元→スピリチュアル→非二元


スピリチュアルは心の世界であり、自我が宇宙へと拡がっていく世界
この世界は神秘に溢れ、知れば知るほどに私は感動で震える
この世界も宇宙も二元の世界ですが
大いなるこの幻想世界で得られるものはあまりにも素晴らしい
そして非二元を知ることで、安心して私の宇宙は拡がっていくのです



非二元はそんな私は実は存在していない、自分と思っている私は幻想である
どんなものであれ観念を手放し想念を手放し、静寂の世界に入ることで
自分とは何者であるのか?という精神世界の神髄に辿り着く
そこに待っているものは真実の我、本当の私は変化変容する者ではない
始まりもなく、終わりもなく、堕落もなく、成長もなく
あまりにも完璧な “それ”は在るなのです
しかし非二元だけを探求していても限界があります
スピリチュアル(霊的)私の心の世界を深く探求することで
非二元の神髄へとその先が見えて来るからです


探求が深くなるたびに高い次元での理解へと進み
最終的に悟りとなっていくと思います
しかし私がここで伝えたい目醒めは、悟るが探求の終わりではなくて
悟った状態で異次元を旅していくということなのです
スピリチュアルと非二元を同時に探求することは無意味です
適当になります、ストップがかかります
このふたつの探求はステップを上がっていくためのもののように思います
両方があって当たり前、両方がなければならない
私たちは変化する者、私たちは変わっていくことで目醒めていく


だから、言うんですよねー
言葉は真実を語れないって


言葉はこの幻想世界のものであり
言葉そのものは変わっていないのに
その言葉を受け取る人の意識がどんどん変化していくために
言葉の意味、深さが、まるで違うものになってしまうんですね




これってマジで ミステリと言う勿れ 笑
この人生に深刻になるのはやめた方がいいね
深刻さをやめて初めて
あるがままが見えて来るね





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